粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

92.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑧

街頭調査の結果を考察しました。子供たちは

・意外と気にしない人が多かった。

・絶対に食べないという意見も多く、特に小さい子供がいると食べさせたくないそうです。

・高齢者は、平気だという意見が多かった。

・国の基準が甘いんじゃないかという意見もあった。家で調べてみたら、100ベクレルだと1年間では相当の被爆になるようで、私も怖くなった。

などの感想が出ました。

 

 子供たちの予想に反して「食べる」という意見が多かったのだけれど、

実際は安くなってしまうほど、福島のおコメは売れていないのです。

風評被害と今回の調査のギャップについて、

・子供だから、本音を言えないんじゃないか。

・いつも決まったおコメを食べていて、福島のコメを買いたくてもなかなか買えないという意見もあったよ。

・じゃあ、他の県のおコメと福島のおコメを比較した場合は食べないっていうことかな?

・インタビューは「食べますか」というだけで、本当に食べているかはわからないでしょ。本当は食べていない人が多いんじゃないか?

 

となり、本当のことを知るアンケートはどうしたらいいのか考えました。

 

・福島のおコメが選ばれているのか、ほかの県の銘柄と比べるようにしたらいい。

・他の県の代表的な銘柄をだしたら。

 

ということで、他の県の品種を調べてみました。(これもかなり楽しい学習です)

 

結果、

新潟県産「こしひかり」

②北海道産「ななつぼし

秋田県産「あきたこまち

福島県産「天のつぶ」

⑤そのほか

 

で調査をすることにしました。

結果はどうなるのか楽しみです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

さて、週末に日本橋にあるアンテナショップへ行って「天のつぶ」を購入したという児童がいました。進んで行動していてえらいです。

そこではなんと「天のつぶ」が1080円の格安で売っていそうです。

その児童は購入しておいしくいただいたそうです。

 

教室でその報告を受けると子供たちは、「そんなに安くなっているのか」

他にももうひとり「天のつぶ」を購入した児童がいました。

その児童は「おいしくて3杯食べた」と。味は良いようす。

 

 私の方からは、NHKでやっていた特番で、飼料米になった「天のつぶ」を紹介しました。丹精込めてつくった「天のつぶ」が売れずに飼料米に。飼料米にすると国から補助が出るのでやむをえずそうしたということ。農家の方は「無念」とコメント。子供たちも、同情を寄せていました。

 

福島の方は安全に配慮し、精一杯努力をしているように思います。しかし、この風評被害は厳しい。どうしたらいいのでしょうか。

しかし、母親の意見を聞くとどうしても不安な心情はわかるのです。子供たちも悩んでいます。

 

 

感想

・Mさんがアンテナショップで福島のおコメが1080円で売っていたといっていたけど、コシヒカリはその2倍以上の値段だ。昨日「天のつぶ」を食べたが体に害はない。おいしくて2回もおかわりした。おいしくて安いのに売れない。やっぱり放射能0だと信じられないのかな。農家の方は本当に無念だと思う。

・私は一生懸命作った新米を牛にあげるなんてひどいと思う。放射能0のおコメがほとんどなのに。勝手に福島のおコメは放射能がたくさんと決めつけるのは本当にひどいと思う。自分が思っているのは100%正しいのか。現実を見てほしい。無念な気持ちではずっとお米を作り続けられないと思う。どうしたら米作りを続けられるか。それは福島=放射能というイメージをなくすことだ。全袋検査をもっとみんなに知ってもらった方がよい。知ってもらうためにテレビや新聞で出してほしい。福島のおコメをどうあって作っているのか?他の農家より手間をかけている分おいしく感じてもらえるか?どうするべきか復興大臣も考えてほしい。

・天のつぶが売れていないことは知っていた。農家の方がかわいそうだし、少し罪悪感も感じていた。大赤字でおいしいお米を作っている福島の農家がすごく心配だった。でも、現実はもっと厳しかった。なんとせっかく作ったおコメが牛のえさになっているのだ。農家は人間に食べてもらうために、それに生活費がほしくて作ったのだと思う。なのに、風評被害があり、売れなかった。だから生活のために牛のえさにしている。見た目にも中身も安全でおいしいおコメが食べてもらえない。予想以上に悔しいはずだ。

・街頭調査結果は食べる人が多かったけど、現実は安いまま。つまり買っていないということだ。やっぱり食べると買うは違うのだと思う。確かに、他のコメと比べたら福島のおコメは選ばないと思う。比べてはいけないと思う。対等の立場で考えてほしい。飼料米になったおコメの話を聞いた。人間のために作ったのにどうかと思う。生活のためとはいえ本当に無念だと思う。

放射能が全く入っていない物を、イメージだけで買わないのはどうか。そのみんなが買ってあげなかったおコメは利益がなくなるほど安くなるとか牛のおなかに収まるとか。決して良い運命をたどらない。特に牛のえさになるおコメ。農家はつらい思いをしても好きだから一生懸命作っているのだと思う。でもその何とか作ったおコメは牛のえさになる。福島のおコメをなるべく食べたい。

 

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91.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑦

街頭インタビューに行く!

 

福島のおコメのあまりの安さに驚いた子供たち。

安全でも、食べてくれない風評被害を知りました。

子供たちは40名中37名は食べるべきだと言います。

「まちの人たちは本当に食べてくれないのか?」

「どうして、食べてくれないのか?」

を調査するために、街頭インタビューに出かけました。

 

調査は

質問「福島のおコメを食べますか?」

①進んで食べる

②食べる

③あまり食べたくない

④絶対に食べない

でした。

そして①~④を選んだ理由も質問紙メモを取りました。

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最初は声をかけることに戸惑って子供でしたが次第慣れてきたようです。

1時間程度の調査で、300人程度の方にインタビューすることができました。

結果、7割の人が①②と答えました。

進んで食べる

食べてもよい

あまり食べたくない

絶対に食べない

92

131

74

48

 

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子供たちの予想に反して、「食べてもよい」という人が多かったのです。

インタビューする中で、実際に福島から避難してきた方もいらっしゃって「福島のコメを応援したい」と述べられていたそうです。

また、小さいお子さんのいる母親は「私は食べてもいいけど、子供には食べさせたくない」という意見を述べる人が数名いたそうです。この意見には子供たちも納得したようです。

それにしても、風評被害の現実と今日の街頭調査ではギャップがあるような気がします。

 

そこで、次回は、調査の方法について検討し、再度の調査を試みることにしました。

 

 

90.「福島のおコメは安全です。胸を張っていけるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑥

15年かけて開発した「天のつぶ」

米作りの単元を学習していると、品種改良が出てくるのですが、

福島にも「天のつぶ」という品種改良されて作られたおいしいおコメがあります。

「天のつぶ」は15年という長時間かけられて作られた品種です。

福島は震災前全国4位の収穫量を誇っていましたし、3つの特Aコシヒカリがあるなど味にも定評がありました。

そのため、天のつぶが開発されても、農家の方の多くは「コシヒカリがあるのにいまさら」と感じ、あまり作られていなかったようです。

丁度その時東日本大震災が起きます。

天のつぶ」はコシヒカリや一目ぼれよりも背が低く、倒れにくいのが特徴で、いもち病におとよく粒の大きさの良い品種です。それに加え、「天のつぶ」は穂が出るとき天にまっすぐと伸びる稲で、とても力強いそうです。そんな姿を復興に重ね「天のつぶ」は、県の奨励品種として期待されて栽培され始めたと言います。

震災復興を担う「天のつぶ」ですが、

下の表を見てください。

 

 

ある大手スーパーのコメ売り場の価格5kg

新潟県南魚沼産「コシヒカリ」3980円

北海道の「ゆめぴりか」2980円

新潟のブランド米が2200円~2500円

福島県「天のつぶ」1880円

 

おいしいお米を食べてもらいたいと努力をしているのだが、震災前の1~2割ほど価格は落ちているのです。

 

全国平均と福島米の価格差

 

全国価格(60㎏)

福島米(60kg)

2010

 

 

-200

2011

15100

14000

-1100

2012

16500

16000

-500

2013

14700

13800

-900

2014

12000

10800

-1200

2015

13100

12100

-1000

 

激しい風評被害のため、価格が安く、儲けが出にくいのです。

私が、三浦さんの直売所「野馬土」に伺った時も、

5kgで、1600円の格安で、そのうえシールで150円引きとなっていました。

1450円です。

実物を買ってきたので、子供たちは驚きます。

・魚沼産は4000円近くもするのに!

・全袋検査のシールが貼ってあって、放射線はないのに。

・15年もかけたのに。

原発で苦労して、やっと米作りができたのに、また苦労。

 

風評被害の厳しさ。子供たちは、「食べるべき!」という児童が多いようです。

そこで、どうして、「安全なのに福島のおコメを食べないのか」次回、街頭調査に行くことにしました。

 

感想

放射能はほとんど0なのに、「イメージ」だけで福島は放射能がすごい、やばいと決めつけてしまうのはよくない。そんなことを言っていたら何十年たっても福島のコメは食べられないと思う。イメージだけで決めつけてほしくない。

 

・天のつぶの価格にびっくりした。コシヒカリ3980円なのに天のつぶは1880円なのだ。食べても害はないのに安すぎる。売れないから震災前より価格が1から2割落ちている。福島のコメは他県と差別されていてかわいそう。何にも害はないのに、「放射能がある」「怖い」などと言っていいのだろうか。みんな福島県民の気持ちがわかていない。三浦さんも値下げしていた。みんなに一生懸命作ったコメを食べてほしいと三浦さんは思っているのかな。

 

・「やすっ。」資料を見たとき思わずそう言ってしまった。福島の人たちは自分のせいじゃないのに努力している。福島のコメというだけで「放射能がある」といて避ける。その結果どんどん値段が下がっていき、福島の人たちの努力が無駄になってしまう。

 

・天のつぶの価格が安い理由は安くないと買ってもらえないから。福島産は放射能がたくさんかかっていると思っている人がたくさんいる。検査もしていて放射能がどれくらい入っているかわかっているのに。どうしても悪いイメージになってしまう。私はできるだけ皆に食べてもらいたい。福島の人たちが負けずに米作りをしているからだ。三浦さんは努力をしているのに価格が安くなっている。おかしいと思った。三浦さんたちの努力と愛情はどこへ行ってしまったのだろう。

 

15年かっけて開発したおコメ。みんなにやっと認められた福島県産天のつぶ。そんな時災害が起こって天のつぶが作れなくなってしまった。一瞬で水の泡になった。原発事故がなかったら再開できたと思う点のつぶは今は、絶対安全だ。福島のコメは0ベクレルなのだ。私は絶対に食べるし食べなくてはならない。

 

・福島のおコメは、普通ならしない作業や検査をしているから安全で買てくれる人も多いと思っていた。でも、先生からおコメの値段の資料が配られて、僕は愕然とした。新潟などのおコメは2500円以上なのに、福島のおコメは1880円。予想の真逆だった。最初はここまで安くはなかったと思う。でも福島の放射能のイメージで買わない人が増えて、この値段になったんだと思う。僕たちのように授業で勉強をしている人たちにとっては、愛情がこもったコメだが、三浦さんたちの努力を知らない人たちにとっては危険な米。つまり僕の考えは、みんなに三浦さんの努力をもっと知ってもらうこと。

 

・天のつぶが価格が低くてとてもびっくりした。天のつぶは価格が低すぎて儲かっていない。コメが放射線が入っていたり、わざと0と書いてうそをついているのではないかという意見の人がいた。でも私は三浦さんがそんなことをすはずがないと思う。だって、田をなくし、遺体安置所に入れられ、父親もショック死でなくなり、こんなつらい思いをした人が、人の体に放射線を入れたいと思うだろうか。ちゃんと放射線をはかっていて、お客様がはかってくれと言われたらはかっているのに。何か食べたら害があるのか。ないと思う。私は絶対に食べる。

 

 

おまけの話

今日は「ツール・ド・美ヶ原」でした。最大20%の斜度を超える激坂を21km延々と上ります。

4月の麦草峠の惨敗の後(上位51%)、5月の榛名山では上位25%と練習の成果が出ていました。

そして、迎えた第3戦。結果は上位17%と伸ばすことができました。

体力の充実は実感していて、数日前の健康診断でも脈拍41と若いころにだいぶ戻ってきました。

激坂に備えて、峠を「ダンシング縛り」という練習を取り入れ、一人悲鳴を上げながら

取り組んできました。その成果がしっかり出ていました。練習したからと言って成果が出るとは限らないけど、練習しなければ成果は出ない。(当たり前のこと)

榛名山では最後に粘れなかった反省から、今回は最後まで集中していました。

でも、これから上に行くのは大変でしょう。それはわかっているつもりです。

 

8月には「全日本マウンテンサイクリング IN 乗鞍」というヒルクライムの殿堂があります。そのアマチュア最高位を決めるチャンピオンクラスの出場権は1時間20分を切ることです。実は、今回の記録はかなりいい線で、ひょっとしたらその記録に届くかもしれないというところまで来ました。

4月の麦草峠の段階では、夢物語でしたが、現実的になってきました。

毎日仕事の合間を縫って少しずつ重ねてきた成果です。

大人になっても、目標を持ち、それに向かってアプローチし、達成して行くのは心地よいものです。

社会科でも当然目標があります。両方かなえます。

 

 

帰りの諏訪湖サービスエリアのスタバで。ダイエット中だから甘いものはダメなのに、「今日くらいはいいか?!」と「コーヒーフラペチーノ」、しかもベンティ!

弱い人間なんです(由井薗先輩 著作)

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89.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑤

南相馬の小高の農家、三浦広さん。

 

震災前に比べて、収穫量が4割になってしまった浜通りの農家の方はどうしているんでしょうか。

子供たちは、「福島から離れたくないから、会津に移動して農業をしているかも」「もう農家をしていないんじゃないか」「他の仕事かな」など、いろいろな意見を出します。きっと、どれも当たっているに違いありません。今回は一つの事例として私が取材した三浦広志さんを取り上げます。三浦さんのお宅は南相馬市小高で農地もそこにあります。原発から12kmと大変近い位置にあります。ですから、そこで農業をすることは難しいのです。そこで現在三浦さんは、北の相馬市に水田を借りて稲作をしています。また、NPO法人野馬土の理事長として農業と直売所、市や県、国との交渉に当たっています。 その資料を子供と読みます。

 

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○震災当日はどうしていたのですか

 重税反対集会とデモ行進をしていました。デモ行進をしていると大きな揺れが起きました。あまりに大きな揺れだったので、参加者はみんな携帯で家族に電話をかけましたがつながらない。どうしようか考えていたけど、とにかくデモをやってしまおうと・・・・・。

相馬税務署に行くと税務署に人は「本当に来たんですか?中はめちゃくちゃです。」だって。とにかく交渉を終わらせました。このとき地震から1時間くらいたっていたでしょうか。デモに参加したみんなの形態もつながり始めた。するととんでもない事態だというのです。私の携帯にも電話があって、家族はみんな福浦小学校に避難したと。すぐに仲間の車に乗せてもらい、そこに向かったんですが、小高に近づくと道から水が噴き出ていて、車が流されていく。津波のことは昔から言われてきたけど、目の当たりにした現実のあまりにすごさに驚かされた。車を下してもらい、歩いて山を越え、水を避け、ようやく避難場所の小学校につきました。もうあたりは真っ暗でした。小学校も停電しているからどこもかしこも真っ暗で誰が誰だか。ようやく家族を見つけて、その日は不安の中で車の中で一夜を過ごしました。翌朝家を見に行ったら、家の周りは一面の水浸し。まるでうみのようです。農業はもうできないなと直感した。

 そんな時、すぐとなりの浪江の人が逃げているといううわさが流れてきました。私はその時、津波で家も水田も水浸しになったから、原発のことなんて考えもしなかったのです。原発関連の会社に勤めている同級生が家族に真っ青な顔をして「後は頼むぞ」と言い残して夜中に出ていった。家族にも事情を話さなかったところを見ると相当大変なことが起こっているに違いない。とにかく逃げよう。逃げる準備をしているとき、「まもなくベントします」と放送が流れてきた。12日の朝のことです。市役所の人に、すぐに避難先を変えろと言ったが、避難命令が出ていないから動けないという。動けない人もいる。仕方がないので家族を連れて、25k離れた中学校に避難しました。一号機が爆発したのはそのひの夕方でした。とんでもないことになった。私は車の中でずっとラジオを聞いていました。情報を集めるしかなかったのです。まずいなと思った。みんながバスに乗せられてここに避難してきた。

 私はそのとき娘がいたから、被爆させたくなくて、相馬まで逃げていきました。南相馬から避難してきた私たちは避難所から出されて遺体安置所に入れられた。私たち南相馬の人は隔離されたのです。放射線をだれもが恐れていたのです。環境はどんどん悪くなって、水もトイレもないところでぎゅうぎゅうになっていった。16日には親戚のいる東京へ避難しようと決めたが、道が壊れている。雪の降る中、何とか伊達市まで避難したが食べるものもなく、山のフキノトウを食べた。後で知ったが、その日は放射線量が高く、福島ではなんと24マイクロシーベルトを記録したといいます。18日に高速がつながてトラックが走ったという声が聞こえた。東京の娘の宿舎にいく。私の父と母と息子は千葉県の多古町で生活することになった。

 このとき、農業のことなんて正直考えられませんでした。逃げるので精いっぱい。情報を集めることに必死でした。私の家の田んぼはもともと海だった場所を干拓して、農地にしたのです。父の代は洪水が起きるとすぐに水浸しになって。父はそんな中、毎回水を汲んで一生懸命は水田を守ってきました。長く水利組合長をやり、自分のお金を出してまで、水をくみ出す施設工事をしてきました。父は自分の一生をかけて小高の農地を開墾したのです。だから、父は水浸しになってしまった田んぼを見て、放射能で汚染されたと聞き、千葉に逃げた後も「水を汲んでくれ!」と私に訴えるのでした。でも「放射線が高いから無理なんだよ」というと、元気をなくしていきました。私が福島に様子を見に行くときも父に「行かないか?」と誘うのですが「おれはいい」と静かに言う。自分の人生のすべてをかけてきたものを失ったのです。日に日に元気がなくなり、薬も拒否しました。父は2011年10月7日千葉県でなくなりました。福島に帰ったのは2014年のことです。

 

○何年後に福島に戻ったのですか

 いやいや2011年の5月30日です。南相馬の仮説住宅に入りました。復興組合を作り、田んぼのがれきひろいを始めました。生活に困るから補助をもらおうと国の役人に交渉したら「福島のような危険なところには行けない」という。かっとなって興奮したが、そうしても仕方がない。とにかく粘り強く交渉を続けました。

 農業をどうするか。南相馬の小高では当分の間、米は作れないと分かっていました。でも原発から少し離れた南相馬から相馬に行くと米作りが行われている。南相馬は見慣れは風景でした。それに比べ、私の故郷南相馬はなにも植えられていない田んぼだけが延々と広がって人もいない。気持ち悪い景色でした。米作りはしたいなあ。でもどうしたらいいのか?そんな時、千葉の農業法人に努めていた息子が急に帰ってきて、「ここで米を作りたい」と言い出しました。私が決めかねていたのに・・・。息子がやるというんじゃしょうがない。踏ん切りをつけて、相馬市に土地を借りることにしました。もちろん断られたけど、粘って交渉して何とか貸してもらうことができました。わずか2aです。しかし、米作りを再開しました。それが2012年のことです。


 相馬でもセシウムが出たら大変だから、一つ一つ鍬を入れて天地返しをしていく。カリウムをまいていく。ふつうは行わない大変な作業です。私自身農薬が苦手だから、これまでも、合鴨農法や米ぬか農法など、健康だと言われる農法は全部やってきました。だから、今回も徹底して安全委はこだわっている。もちろん全袋検査をしています。胸を張って安全だと言えます。

 

スクリーニング検査とは、重さ30キロのコメ袋を一つ一つベルトコンベアに乗せて測定する重労働です。なんと毎年1000万袋も検査しているのです。

 

 読んだ後、子供たちに感想を言ってもらいます。

・被災したのにもう一度農業をやろうという気持ちうがすごい。

・天地返しやカリウムをまいたりと、安全な米を作ろうとしている。

・お父さんは人生をかけた水田を失って、よほどショックだったのだろう。

・稲の生えていないふるさとの水田をみてどう思っただろう。

などなど・・・。

など、の意見がつづく。

三浦さんの大変な状況に共感する声が多く聞かれました。

とくに、お父さんが避難先でなくなったことについて、

「一生をかけてきたものを壊されてショックだったのだろう」

という意見から、被災先でなくなることについても学びました。被災先で亡くなった震災関連死の方は、3500人余りに及ぶそうです。三浦さんのお父さんのようにこれまでの人生で積み重ねてきたものを奪われる衝撃は相当なものです。

 

また、福島のコメは全袋検査していて、安全なのですが、食べるかどうかについては別問題だといいます。子供たちも食べたくないという子供もいます。授業を受けたから食べてもいいけど、その前は食べたくなかったという意見もあります。

 

放射線について、どう考えていくのか。次回は福島の農家の皆さんを悩ます、風評被害について学んでいきます。

 

感想

・三浦さんのお話を読んで、ぼくは三浦さんの努力が心にしみた。三浦さんは農業が好きだからここまで交渉を重ねて2aの貸してもらえたんだと思う。僕が三浦さんと同じ立場だったら。とっくにあきらめていると思う。僕は三浦さんのおコメを食べるべきだと思う。食べないという意見を聞いてみると「福島って聞くと怖い」や「何か入っていそう」とか言っていた。検査で結果が出ているのになんでかな。

 

・三浦さんの話を読んでまず、父のことだ。とても大切にしていた水田を失うという悲しさのあまり薬を拒否したのだ。土地を大切にしていたのだから、もうやりたくなくなった気持ちはわかる。小七位という気持ちが伝わってくる。しかし、私は食べたくないと思った。0ではないので。少しでもあるなら不安だ。食べてあげたい。だけど、自分の体も考えたくてはいけない。だけど、思ってみると三浦さんはどのくらい入っているか。0が多いと思うけど、見逃していそうで怖い。私はそんなに詳しく見ない人だから。詳しく見ればいいけど、やはり見逃しそう。三浦さんのは食べたい。だけど、不安なのである。とても難しい。

 

浜通りの農家は自分の宝物でもある水田を破壊されてそのショックでコメ作りをもうやっていないと思っていた。でも、三浦さんは違っていた。ひどい差別を受けながら、米作りをしたという信念を曲げずにわずか2aだが土地を借りた。そして、死んだお父さんの分まで安全でおいしい米を作ろうと普通なら竹刀作業までしていた。僕の頭の中で、少し福島のイメージがあきらめずに頑張るという風に変わってきた。

 

・私は今日の授業でとても三浦さんはかわいそうだと思った。福島で父の代から一生懸命楽しくお米を作って来たのに、震災で津波が来てm水田をぐちゃぐちゃにされてしまい、それだけでなく、放射能まで水田にまき散らされてしまった。津波だけならまだ同じ南相馬でコメを作れていたのに、放射能南相馬で米を作れなくなってしまった。しかし、それだけでなく、安全なのに、福島のコメは危ないと大げさに避けられてしまう。放射能のせいで水田がだめになり、父もショック死してしまう。福島の人は楽しくお米を作っていただけなのに、こんな大変なことになってしまった。そこ史でも福島のコメを買い食べるようにした方がよい。

 

・三浦さんのお父さんは自分が人生のすべてをかけてきたものを失った。すごく悲しくて、ショックから立ち直れなかったと思う。だから日に日に元気がなくなり、薬も拒否したんだろう。私がもし大切なものをなくしたらどんな気持ちだろう。友達に慰めてもらうだけで立ち直れるかな?いま改めて、大切なものをなくすこわさが分かった。そんな姿を見て、息子さんは「福島でお米を作りたい」といった。私だったらそんなことが言えるだろうか。自分もショックで立ち直れないかもしれない。だから私は三浦さんの家のおコメは安心できるし、体にも良いから食べる。無農薬の檜原雅子さんの紅茶みたいだな。

 

・どうしてみんな「福島」と聞くと嫌な顔をするのだろうか。確かに源波湯事故で放射能がなくなっていないのはわかるけど。でも福島の人たちは負けずに頑張っている。特に農家の方たちは自分の命のような水田を失った。私たちは「かわいそう」と思うだけ。それが農家の人たちにとっては家族がなくなったのと同じくらいショックだったと思う。そんな中でやっと立ち直れて、一生懸命苦労して作ったおコメ。そのおコメはしっかり検査していてOKがされているのに「放射能がついている」といって「いやだ」「かいたくない」「きたない」とみんな買わない。なぜだろう。検査で合格しているのに。私だったら買う。なぜなら、そのおコメの一粒一粒に苦労と努力、そしてたっぷりの愛情がこもっているから。とてもおいしいと思う。

 

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88.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」その④

下のような写真を何枚か子供たちに見せます。

 

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「原っぱ」「草むら」という声が聞こえ、そのうちに

「田んぼだったところじゃない」という発言が出てきます。

「そうだ、田んぼだ!」

そこで、『どうして、田んぼなのに、草むらのように見えるの?』と発問します。

「これは福島県で、放射能のせいで、作物を作れなくなったんだよ」

原発事故から、6年でしょ。その間作れなかったから、田んぼに雑草がたくさん生えたんだよ」

「6年たっても、まだ田んぼができないんだね」

という発言。全員が納得した様子。発言をつないでいけるのが、私のクラスの良さ。

 

次に、『なるほどね。では、2011年とそれ以降での、米の収穫量はどのように変化してきたか考えよう。実は、福島県はコメどころで、事故が起こる前の収穫量は全国4位でした』

「20位くらいになったんじゃない」

「いや46位とか。東京が47位」

など、大幅な落ち込みを予想するが、下のような表を提示する。

 

 

浜通り

中通り

会津

合計

全国

2010

88400

220500

135500

445700

4

2011

30200

194200

129000

353400

7

2012

31000

202700

135000

358700

7

2013

34700

208200

139700

392100

7

2014

35200

208200

137500

382100

7

2015

33192

197350

134750

385400

5

 

-56208

-23150

-750

-80300

 

4位から7位になっている。

すると、

「7位なら大丈夫じゃないか」

「そんなに減っていない」

という意見が出るが、

「でも、20パーセントくらい量が減っているよ」

「それってかなりの量じゃないか」

「例えば、500万円の収入があったとしたら、100万円減るということだ」

「生活が苦しくなるね」

そこで、福島県は、南北に海岸側から、浜通り中通り会津の3地区に分かれていることを示し、『特に、どの地域が減っているのかな?』

浜通り

浜通り、は半分以下になっている。」

「半分以下じゃ、農家の人はどうなったんだ」

浜通りには何がある?』

原発だ」

地震だけだったら、復活ができたんだろうけど、放射線で復活できていないんだ」

「農家の人だったら、1%だって減らしたくないと思うけど、浜通りは60%くらい減っている。」

「農家の人はどうしているんだろう?」

浜通りの農家について調べていくことになりました。

 

子どもの感想

・私は最初福島のコメが4位から7位になったときき、キープできた方かなと思った。だけど、違った。なんと20%以上も生産量が減っていた。それを聞くと愕然とした。農家の人は悪くない。自然のせいなのに。とても悲しかったと思う。では、今浜通りの農家は何をしているのだろうか?私の考えはこうだ。他の場所(会津など)にいって米作りをさいかいしているのではないか。自分が米作りが好きだったらそうしたいと思う。他の県ではなく、自分の県「福島」で頑張りたい。頑張れば、福島のコメ作りをみんな再開できると思う。

 

・私たちはこの立場だから、あの風景が「原っぱや草むら」と言えるけど、農家の人は自分の宝物をその様には言えないと思う。それに、20%減っただけでも、心に深く傷がつくと思う。たった20%でも、その20%には、」もう二度と味わいたくない思いがあると思う。私はその農家の人たちは、東京や水田のある所には来ないと思います。一度の震災ですべてをなくした人もいます。

 

・おコメの量が少なくなっているのでも、最初はほんの少しかと思った。でも、20.1%という数字を見ると「えっ。こんなに減ったの?」と思った。7位になっているのはほとんど会津中通りのものだ。浜通りではたらいている人は何をしているのだろう。ずっと育ててきたのに、あの事故で水の泡になったからだ。私だったらそんな体験はしなくない。そんな7位の福島のコメを私はスーパーで見る。でもみんな安全なのにそのおコメをよける。なんでかな?私は今日の学習をもとにお母さんに言いたくなった。福島は福島でも、一生懸命頑張っているのだ。一生懸命応援すべきだ。浜通りではお米を作っている人がいる。私はそのあきらめない心に驚いた。私はみんなに広めたくなった。

 

・今日は20%減は大したことはないと思った。それは数字で見たからだ。1%を人としてみると、クラスの8人がいなくなってしまう。マナ通りの人は一生懸命米作りをしてきたのに、頑発のせいでコメが取れなくなったり、放射能が入っていると言いがかりをつけられたりして、とてもかわいそうだと思う。福島のコメは収穫量では5位まで戻てきたが、それは中通り会津の人たちのコメで、浜通りはおまけみたいでかわいそうだ。震災から6年もたっているのに人がまだいないということは大好きな町へ、戻りたいが戻れないということだ。福島に戻りおいしく安全な米を作ってほしい。

 

・福島があんなに被害を受けているのに、6年で元の量くらいとれるようになったのはすごいと思う。たくさんの人の苦労もあったと思う。そんな中で、浜通りはあんまり回復していない。放射能のせい、それとも働く人が足りないから?どうして浜通りが元に戻らないのか?私にできることがあったらしたいと思う。

 

・福島は震災前のコメの生産量は4位だった。でも、東日本大震災によって、7位になってしまった。そこまで大きな数字には見えないが、-20.1%も減ってしまった。その被害はほとんどが浜通りが受けた。浜通りの農家は仕事がなくなってしまった。とてもかわいそうだと思う。震災は人の命を奪うだけでなく、仕事も奪ってしまう。

 

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87.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その③

原発事故と現在の浪江・南相馬

 

前回震災について触れたので、子供たちとスライドで私の言った福島県浜通りを見ていきます。

筑波大学附属小学校から浪江町まで、Googlemapですと、267キロメートル3時間半かかると表示されます。実際に私が訪れたときもちょうどそれくらいでした。

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いよいよ浜通りとなると上記のように、高速道路の放射線量が記されます。

国が定める年間被ばく量は1ミリシーベルトです。1時間当たりにすると0.19マイクロシーベルトです。しかし、知らない方も意外と多いのですが、自然界にはもともと放射性物質が存在しているので、(ラジウム温泉などは進んで放射線を浴びて健康になるとされている。低線量被爆の人体への影響は健康だという一つの事例。低線量被爆の人体への影響は確立されていない)事故とは関係なく私たちは大地や宇宙空間からも絶えず被爆しています。その量が、毎時0.04マイクロシーベルト(宇宙からのものはのぞく)

すると、時間線量で、0.23マイクロシーベルトが一つの基準となります。

高速道路には、数キロごとに放射線量が示されています。

そして帰宅困難地域の線量は、

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現在もかなり高い数値です。残念に思います。

しかし、浪江から南相馬に移動すると線量は、0.23マイクロシーベルトを下回っています。この線引きをしっかりしないと、「福島」と一色炭にしてしまい、風評被害を生む原因となる。こういう事実はしっかり認識する必要があります。福島のすべてが、放射線量が高いわけではない。

そして、浪江のインターを降ります。

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避難指示が一部解除されたのですが、町の中心部でも人に出合うことはありませんでした。

 

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避難指示解除を受けて設置されたのか新しい看板が立っているのですが、少し寂しい差を感じます。5月に解除され、浪江町で帰還した方は200人から300人だと言います。しかも、多くは年配の方だそうです。震災前は2万人弱の方が住んでいたといいますから、放射線被害の甚大さを感じずにはいられません。

 

次の写真は、なんだかご存知ですか?

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これは、除染した表土を入れる袋で「フレコン」と言われています。フレコンは道々に置かれていて、帰宅困難地域の仮置き場に山積みされています。そして、フレコンには線量が書かれています。

また、ガイガーカウンターで測ると

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振り切れてしまうところもあります。放射性物質は流れて、たまるのでこういう水が溜まりそうな場所は線量が高くなります。この辺りは長くいてはいけないなと思います。

このように、目には目ななくても、線量が高いので人が長く活動することは難しいのです。ですから、復興はそうしても遅くなります。これは少し前の写真ですが、

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この様に手付かずになってしまいます。

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これは、駅にあったプランターに添えられた言葉です。真意がを図りかねますが・・・。人があまり立ち寄らないから、立ち寄った方にお願いという意味なのか。花の立場を借りての現状への非難なのか・・・。

そして、現在も帰宅できない方は仮設住宅に住んでいらっしゃいます。

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このようにして、目に見えない放射線の被害を示すとともに

震災直後によく新聞に掲載されていた、線量と健康被害の図を示し、

子供たちと放射線量について学習しました。そして、

年間限度、1時間限度を子供たちに伝えました。

 

震災から6年が経過した今でも家に帰れない放射線被害について、子供たちは深く考えていました。

その日の振り返りに、ある児童が

「目に見えない放射線のこわさを知りました。(中略)福島のことは、自分事として考えていかなければならないと思いいました。(続く)」

と書いてきました。

この児童だけでなく、福島のことを自分のこととして考えるような児童が多くて安心しました。

東京電力福島第一原子力発電所。なぜ福島なのに「東京」電力なのか。東京にエネルギーを供給してくれていたからです。それを子供たちは考えてたので、「他人事」とは考えられなかったのかもしれません。

新しい指導要領でも「多角的」という言葉が使われています。異なる人の立場で考えられることが求められています。子供たちは、福島の人の気持ちになって考えることができているように思いました。(すべての子供が等しくそうではありませんが)

 

原発の是非。東電の責任。原発で恩恵を受けた福島の人。というような議論はここでは行いません。あくまで、原子力発電所の事故による、農地の汚染とそれを克服しようとする農家。そして、農家を圧迫する風評被害の難しさ。それでも前に進もうとする農家と未来の農業のことの学習です。この授業では、それのみです。その他の議論は本意ではありません。子供が自分で考えられるようになるには、それはまだまだ先だと思います。)

続く

 

86.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その②

確かな判断をするのための、地道な認識の積み重ね。

東日本大震災時、5歳だった5年生が、福島の農業を脅かす原発事故と風評被害を学ぶには、その下地作りが大切です。確かな判断をするには、その判断材料が欠かせません。今回の学習に必要な知識・情報は

東日本大震災の被害

放射線の影響と汚染状況

③被災者方々の事例

これらを丹念に学んでいくことで、風評被害について科学的に考察できるとともに、自分だけでなく被災者の方に寄り添った多角的な考え方ができると考えました。

これらをすべて社会科で学ぶには時間が不足しているので、総合的な学習の時間を使用します。今年は、今回だけでなく、社会科のその他の単元や総合的な学習で、自然災害と社会参画をテーマに取り組んでいくので、①~③の学習は今後も生きてきます。先行投資といってよいと思います。

 

さて、今回の学習の最初は、ビデオで津波の様子を見ました。

いくつも震災関係のDVDが出ています。今回はちょっとずれますが福島の映像ではなく、岩手の映像を見せました。

子供たちは、津波に飲み込まれる町、あわてて非難する人々、高台から津波を見つめる無力感漂う人々の様子に、「こんなにひどかったんだ」と言葉を漏らします。

そして、

東日本大震災

2011年3月11日14時46分

震源 宮城県沖130キロメートル

マグニチュード 9.0(国内最大)

波高10m以上、最大遡上高40.1mの津波

死者・行方不明者 18449人

とスライドで流します。

そして、震災後に各新聞社から出た、縮刷版を配ります。

 

そこには、被災した人の様子が載っています。

それをゆっくり読んでい行く。

映像や数字も効果的ですが、人には心がありますから、人の出てくる様子を子供に示すとぐっと心情が研ぎ澄まされていきます。想像する力が育ってくると思います。