粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

126.21日土曜日は、「第27回 価値判断力・意思決定力を育成する社会科授業研究会」

今週の土曜日(21日)は「第27回 価値判断力・意思決定力を育成する社会科授業研究会」(価値意思の会)です。会場は筑波大学附属小学校で行われます。

 

価値意思の会は、梅澤先生とお茶大附属小の岡田先生が始められた研究会で、私も千葉県の公立学校の教員だったころから、実践発表をさせていただくなど機会をいただいてきました。筑波に来てからも、毎年授業をさせていただいています。

私にとってはとても思入れのある研究会ですし、授業づくりを学ばせていただいた研究会です。

 

今回は、後期が始まったばかりで私らしく単元をつないできてお見せする授業はできないのですが、それでも、子供たちの認識をゆさぶり、判断することの難しさを感じてもらえる授業をしようと思います。

 

会のテーマは「選択・判断する授業」です。新しい指導要領では「選択・判断」という言葉が示されています。指導要領において「選択・判断」の言葉が使われている場所は、4年生で最も多く、例えばごみや水道など、自分の行動と結びついた選択や判断が求められています。

しかし、梅澤先生が目指している判断は少し違うのかなと思います。梅澤先生は社会事象そのものの価値を考え、子供たちに問うことで認識を深めつつ、物事を見極める目を育てていきたいと考えているのだと思います。

 

私は、梅澤先生の実践で「うなぎ」の実践が素晴らしいと思っています。

土用の丑の日に「うなぎ」を食べるか食べないかを子供たちの問います。

子供たちは、気軽に「食べる」「好きじゃないから食べない」と判断します。

しかし、土用の丑の日の持つ文化的な側面を知ると「食べるべきじゃないか」と判断が揺らぎます。

そして、次に「うなぎ」が絶滅危惧種に指定されたことを学びます。

大幅にうなぎのシラスウナギが減少し、価格が高騰しただけでなく、種の存続にかかわるもんだにもなっていることを学びます。

すると、子供たちはどうしたらいいのかと大いに悩みます。

判断しづらい問題です。そうして判断しづらいかというと、正しい価値観の2つが対立しているからです。

「文化」と「自然保護」の2つの価値の間で悩んでしまいます。

どちらかが正義でどちらかが悪だったら、判断に迷いません。

しかし、世の中の事象のほとんどは善悪では判断がつけにくい問題です。

判断しにくい問題を考えることで、うなぎに対する認識を深めつつ、自分ならどうするかを判断する力を育てていくのです。

考えられている授業だなあと感心いたします。

 

この様に、子供たちに判断させることっで認識を深める「価値意思の会」なので、私の最近の授業とは少し異なると思いますが、

私も「価値意思の会」の趣旨に沿ったような授業をしようと考えています。

梅澤先生の胸をお借りするつもりで、精一杯授業をしようと思います。

 

「価値意思の会」のhpには

私の授業は「水産業」となっていますが、「食料生産」も含んだ授業にしようと思います。子供たちの良い姿をお見せできるように頑張ります。

 

申し込みは下記にリンクを張っておきます。写真は夏の価値意思の会

第27回価値判断力・意思決定力を育成する社会科授業研究会

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125.北海道、取材中 やっぱり寒いな

前期と後期の間の期間休業を生かして年休を取り、お得意の取材をしています。

今回は北海道です。

今は、雪になるかもという天気予報を聞きながら書いています。

北海道の中でも札幌から遠く離れたオホーツク海が見える網走なのでとても寒いです。

ダウンをもっていってよかったなあ。

 

いつもの一眼レフとRollbahn片手に、日産レンタカーマーチにのってあっちへこっちへ。愛車の社会科キャラバン号(足回り強化MINI)のように、キビキビ走らないけど、北海道の直線をすい―っと気持ちよく楽しい取材旅。

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今回の教材開発は、偶然のつながりが偶然のつながりをよんでという具合に進んで行きました。そして、現地を訪れても素晴らしい方々との出会いがありました。

あまり書くとネタバレになってしまい、授業が面白くなくなるのでこれくらいに。

 

今は紅葉が見ごろだそうで、とても美しい。

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途中で見つけたすごいものも。クラスの子供たちも夏休みの旅行でたくさん見つけていたから、それを集めてmapにしても面白いかもしれません。広がっているなあ「森は海の恋人」。こちらでは「川は仲人」ですって。アレンジも有効か?

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124.教材を見つける  新聞切り抜きから

新聞を切り抜く

 

ジャーナリストの池上彰氏は十社ほどの新聞を定期購読しているそうです。インターネットで情報が提供されている今日。紙媒体の新聞にこだわるのは時代錯誤のようにも感じます。

しかし、池上氏は「一貫性」と「正確性」から現在でも紙媒体の新聞を購読しているそうです。池上氏の十社には到底及ばないものの、私も若い時から新聞は比較的好きで、大学時代のお金のない時でも二社取っていた時期もあります。現在も二社とっているわけですが、読み終わった新聞の扱いにはいつも頭を悩ませてしまいます。

部屋が狭くなるし処分に困からです。二社ですら困ってしまうのですから、十社の池上氏はどうしているのかといらぬ心配をしてしまいます。さて、話が脱線したので軌道修正をしましょう。


 新聞を読む理由は人それぞれだと思いますが、現在の私にとって新聞に目を通す一番の理由は「教材を見つけること」です。

社会科は教科書に優れた教材が載っているのですが、その事象をよりよく知るために最新の事情を知ることは欠かせません。


例えば昨年は4年生の担任でしたが、4年生廃棄物の処理の学習では、ごみは最終処分場に行くことを学習します。

新聞を見ていると、都では中央防波堤埋め立て処分場のごみから水分を抜いて4年分の容積を確保したという記事を見つけたりします。

また、水道の学習では多摩川の水源森林の管理にボランティアの皆さんが大きな役割を果たしていることを知ったり、小池百合子知事の就任時には後藤新平をなぞらえた所信表明をつかんだりして、授業や教材に厚みを持たせることができたのだと思います。


 この様に新聞記事によって、授業をより良いものにする手掛かりを得ることができるわけですが、、授業をするときに都合よく記事が手に入るわけではありません。

そこで、新聞の切り抜きをして記事のストックをしておくことが欠かせないことになります。しかし、新聞の切り抜きなん面倒くさい、暇がないと感じられる方も多いのではないでしょうか。

私も続けるためになるべく簡便にして現在に至っています。よりよい方法を模索中ですが、現在の方法を紹介しようと思います。


 新聞を読んでいて面白い記事を見つけたら、すぐに切り抜きます。読んでいる途中でも切り抜きます。思い切って切ってしまう。後で切り抜こうと思っていているとすっかり忘れて機会を失してしまうので「すぐやる」ことが大切です。


切った新聞記事はA4のコピー用紙に貼ります。A4に収まりきらない場合は、なるべく見出しが見えるように織り込んでA四サイズに収めます。

ルーズリーフに閉じていた時もあるが、記事を貼ると厚みが増してバインダーがはじけてしまうし、記事を取り出すときにバインダーから外す作業が煩わしい。
A4用紙に貼った記事はキャリングケースにそのまま入れておきます。

私は学年ごとにキャリングケースを作って入れておくだけ。気が向いたときに、単元ごとに並べなおしようにしています。

また、どの学年にもまたがるような内容は下の学年に入れるようにしているが、別にケースを作ってもよいでしょう。


そして、授業をするときにキャリングケースから用紙を取り出して改めて読み返してみます。

記事の内容を取材してみることもあります。

新聞記事そのものを、」児童への資料としてコピーすることもあります。

また、ある事柄をずっと追いかけてみることも楽しいものです。

私はふるさと納税についてずっと記事をストックしているが、自治体の取り組みの変化や社会の論調に変化が実に楽しい。6年生の授業で扱ってみたいと今から手ぐすねを引いています。
昔から多くに人が行っている切り抜きだが、今もその価値は薄れていないと思います。

 

123.「追究」を生む授業に必要な「教材」の見つけ方 その①エピローグ 

「子供たちと一緒に少しでも楽しい授業をしたい」を思うのは教壇に立つ者ならば誰でも思うことです。楽しい授業とは人それぞれ違うと思いますが、私は「追究していく楽しさ」があることだと思います。

子供たちが進んで「調べたい」「もっと知りたい」「話し合いたい」という気持ちになってくれれば、「追究」が始まります。

その「追究」を生むために欠かせないことが、「教材」と「教師の指導技術」と「学びの履歴」の3つだと思います。

どれも欠くことができないのですが、今回は「教材」について考えてみたいと思います。

 

今年に入って、自分の教室を離れて授業をさせていただく機会がありました。自分の教室を離れて授業をするのですから、子供達の授業スキル(調べる・話し合う技術)の積み重ねも教師との信頼関係もありません。ですから、前述した3つの大切なことのうち「学びの履歴」を生かすことはできません。そこで、残りの「教材」と「教師の指導技術」を頼りに授業をすることになります。

 

今年最初の自分のクラス以外の授業では、「福島のおコメは安全ですが。食べてくれなくても結構です」でした。自分のクラス以外の授業ですから、当然「第1時」の授業になります。問題作りの場面を参観していただくことになります。しかし、この教材を学ぶには、東日本大震災放射線の知識、東電の電力供給方法などをある程度知っていなければ理解が難しい教材です。問題作りに至るまでに時間がかかるので、自分のクラス以外で行うには難しい教材です。あまり、飛び込み授業に向いていないのかもしれません。

一方で「畠山さんと森は海の恋人、そしてあの震災」の授業は、「福島の・・・」に比べて、問題作りに至るまでの認識がもともと子供に備わっているものが多いのです。赤潮は写真一枚で被害の様子が想像できますし、養殖はスーパーマーケットに行けば表示がありますし、子供たちにとってなじみが深いと思います。ですから、問題を作るまでのハードルは低く、それほど難しい内容ではありません。飛び込み授業に向いているともいえます。

 

たった1時間という条件が付く場合には、行いやすい教材とそうでない教材があるとは思いますが、(これについても今後書いていきたいな)教室で行う場合には、子供たちが追究したくなる価値ある教材を授業で取り扱いたいと思います。「福島の・・・」も「畠山さんと・・・」も子供たちは授業を離れても関心を持て追究している児童がみられました。

 

さて、公開授業を1年間に最低2回、昨年は多かったので7回行う(今年も7回かな)現在は、いつも教材を見つけようという意識を高くしていなければなりません。

私の場合は、圧倒的に新聞から見つけることが多いのです。

インターネットが普及し、新聞を購読されていない方も増えているようです。無料で情報が提供されているのですからとてもありがたいことです。無料で情報が手に入るのにわざわざ月に4000円もかけて新聞を購読する価値があるのでしょうか。教材を見つけるという点で、私はまだまだ価値を失っていないと感じます。その新聞から見つける方法を次回からまとめてみようと思います。(続く)

 

 

122.「畠山さんと森は海の恋人」そして「あの震災」 その⑧ 人の心に木を植える (いったん最終回)

私が畠山重篤さんと「森は海の恋人」を知った瞬間のことは明確には覚えていません。

教科書や資料集などで、絶えず目にしてきましたから、知らず知らずの間に私の認識の中に溶け込んでいたのでしょう。

「森にはためく大漁旗」という光景と漁師が山に木を植えるという、即効性ではなく、自然の摂理に従うような取り組みに感銘を受けていました。私が幼いころはまだまだ、高度経済成長の名残が色濃い時代でした。ごみの分別もしていませんでしたし、フロンガス問題、排気ガス問題、水道水はカルキ臭がしていましたし、道路の中央分離帯にはポイ捨てのごみであふれているような街の様子でした。食品も健康よりも大量生産、大量廃棄、販売も薄利多売。

そういう時代の中で、畠山さんの取り組みは、視点を転換させられるインパクトがありました。そして、同時に心がすっとするというか、洗われるというか、そういうさわやかさもありました。

ですから、3年前に筑波大学附属小学校に赴任した時に、最初にやりたいと思った授業がこの畠山さんと「森は海の恋人」の授業でした。

「畠山さんにお会いしたい!」3年前の話です。

電話をかけますが、何せ多忙な方ですので、なかなか都合がつかず、3度目のお電話で約束をすることができました。しかも8月15日のお盆のみ。遅れるといけないと思い、仙台市に前泊しましたが、それでもお盆の大渋滞に巻き込まれ、約束時間に遅刻。後にも先にも取材で遅刻したのは初めてです。もうひや汗かきまくりでご挨拶したのを昨日のように覚えています。「渋滞大変でしたね。」と畠山さん。救われました。

 

お話を伺ううちに、これは「森は海の恋人」だけではないな。

と思いました。

これまでの教材では、赤潮に見舞われた海を回復させるために、海に目を向ける人がほとんどだったのに(実際当時の水産庁赤潮対策マニュアルでは海のことしか書かれていません)畠山さんは森を育てたという、海と森の関係。持続可能な生産。が中心概念だったと思います。

しかし、東日本大震災後の「植樹祭」や人々の支援、全国各地への運動の広がりを見ていると「人を育てているな。人に希望を与えているな。」ということが一番大切なのだと感じるようになりました。

 

私は、「公民的資質の基礎」を育成することが目標の社会科において、一人一人が社会事象を深く理解するとともに、具体的な実践力も大切だと考えています。例えば、挨拶が大切だと分かっていても、挨拶をしなければどうでしょうか。あまり好感が持てないのではないでしょうか。わかっていても、行動できなければ、仕事もうまくいかないでしょうし、人とのかかわりでもうまくいきそうにありません。運動もダイエットも難しいかもしれません。仕組みが分かったうえで行動できることは生活していくうえで大切だと思います。

 

授業で子供たちに学んでほしい人たちは、

希望を持ち続けている人。

進んで行動に移している人。

協働している人です。

そういう、社会的な活動を具体的にしている人を学ぶことで、子供たちは将来に希望が持てるでしょうし、大人になってもその仕事への姿勢やアプローチの方法は参考になるのではないでしょうか。自分のクラスの子供たちや授業を受けている子供たちには、将来、人と関わりながら、心豊かな毎日を過ごしてほしいと願っています。そして、今からできることは進んで行動に移そうという気持ちをもって学習・生活をしていって欲しいです。

 

話が脱線しました。私は、畠山さんの「森は海の恋人」の活動の幹の部分に「人」があるのだと思い単元を構成しました。筑波大学附属小学校の大先輩、田中力先生が開発された単元に、新しい価値を加えようと思いました。

 以下は、単元の終末で子供たちに示した、実際に畠山さんがのべられていることです。

2015年8月15日 
気仙沼市唐桑町舞根
畠山重篤さんインタビュー

○人の心に木を植えるとはどういうことですか?
  毎年6月の第一日曜日に開かれている、植樹祭にはたくさんの人が来てくれるようになり、森の木々も育ってきましたが、海と森の間に住む人間が、自然に迷惑をかけるような生活をしていたら、森も川も海もきれいにならないのではないかと考えるようになりました。
 子供のころから生き物が育つとはどういうことか?森と川と海はどういう風につながっているのか?科学的に知ってもらうことが大切ではないかと考えたのです。
 そこで、室根山の小学校の5年生に舞根に来てもらいました。社会科の授業です。春だったので、ホタテ養殖の「耳つり」を体験してもらいました。ホタテの殻にドリルで穴をあけてロープで結ぶのです。子供たちは大量のホタテを初めて見て作業をしました。「わっ。顔に水をかけられた」「ゆびをはさまれた」と大騒ぎになります。楽しい時間です。穴をあけてロープで結んだら、それを船に乗せて沖に運んでいきます。ふなべりから、海が近いので、水に手を入れて大はしゃぎです。子供たちの姿を見てこの体験活動は成功したなと確信しました。
 養殖いかだにつくと、子供たちは「いかだに上がってみたい」というのです。足を滑らせたら海にドボンです。でも大丈夫。ベテラン漁師に手伝ってもらって、全員がいかだに上がりました。さらに箱眼鏡で海中を見ると、ホタテがパクパク口を開け閉めしているのがみられます。すると「質問があります。ホタテにどんな餌をあげているんですか?」と。山の農家の子ですから、農家は作物に肥料を挙げますのでそういう質問が出たのでしょうね。子供たちは真剣です。私は「いや、エサも肥料もあげません。このまま吊り下げておくだけで、海のプランクトンを勝手に食べてくれるのです。すると大きくなる」と言いました。そういうと「うっそー。じゃあ、勝手に海のプランクトンを食べるんだから泥ぼうみたいなものですね」と一人の子供が言って、全員大笑いになりました。先生も苦笑いです。
 そこで、私はプランクトンネットを取り出しました。10mくらい沈めて、海水をすくいます。きれいな海水の中に、よーくみると小さなプランクトンが「ちょっちょ」と動いているのです。「カキやホタテは、毎日これを食べています。皆さんも貝になったつもりで、このプランクトンを食べてみませんか?」というとさすがにしり込みをしました。しかし、一人の男の子が飲みますと言っての出一口飲ませてあげると「少ししょっぱいけど、キュウリの味がする」と言って大笑い。全員が飲みました。
「実は、皆さんの住んでいる山の水が、大川を流れて舞根に来て、植物プランクトンが育っています。だから、漁師さんが室根山に木を植えるのですね。でも、川にはいいものも悪いものも含まれています。さっき皆さんはプランクトンを飲みましたが、例えばきのう皆さんが川に変なものを流していたら、いずれそれがここまで来るのです。そしてその水で育った貝や魚を食べるということは・・・。気が付きましたか。人間に帰ってくるのです」子供たちは真剣に聞いていました。
 後日、その子供たちから感想文をもらいました。
「私は、体験学習の後、シャンプーを使う漁を減らしました。お父さんにも、農薬を使わないでってお願いしました」
 こういう学習を毎年繰り返して、30年です。全国各地から来てくれています。その子どもたちも今は大人になって、お父さんやお母さんです。そういう輪が広がって、大川流域で暮らす人々の気持ちが変わってきました。室根山の村長さんは「これからは、村としても、農薬や除草剤を減らした環境保全型の農業を目指します。合鴨農業など無農薬の農業を行っている人は少なくありません。」とお手紙をもらいました。震災の時は農家の方に助けてもらいました。
今では、私だけでもなく、漁師だけでもなく、大川流域の人たちの意識が変わっているのです。人々の考え方が変われば地域も変わるのです。
それに、舞根以外の漁師でも、全国各地で植林を行っている地域はたくさんあります。全国に舞根が広がっているのです。
 2012年、ありがたいことに私は国連から表彰を受けました。森の英雄「フォレスト・ヒーロー」に選ばれたのです。その時のあいさつです。
「世界には、3つの森があります。山の森、海の森、そして人間の心の中の森です。
 森林と海は結び付いている。そして、森林と海を虫びつけるのは人間です。
 私たちは、木を植えると同時に、子供達への環境プログラムを20年以上続けています。最も重要なのは、人々の心に木を植えること・・・・・。それこそは、『森は海の恋人』の本質なのです。」

畠山さんは30年も舞根で子供たちを育てていらっしゃったのです。

私は教師として20年目ですので、その分野でも畠山さんの方が先輩ですね。

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121.「畠山さんと森は海の恋人」そして「あの震災」 その⑦  2011年もはためいた大漁旗

前回は、畠山さんが

2011年の23回目の「森は海の恋人」植樹祭は

「とても開けない」

と決断したところまでお話ししました。

しかし、2011年6月5日。ひこばえの森には大量がはためいたのでした。

そして、いつも以上の熱気がそこにはありました。

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重篤さんや信さんはすごく痩せていますね。このときの厳しさを感じさせられます。

しかし、参加されている皆さんの笑顔は、ひときわだなと感じさせられます。

 

さて、重篤さんは開催を断念したにもかかわらず、どうして開かれたのでしょうか?

 

2016年6月5日 
岩手県一関市ひこばえの森
畠山重篤さんインタビュー


○第23回植樹祭を開くことができたのはどうしてですか?
 震災後、道路が復旧すると、支援物資を持ってきてくれる人が次々に現れました。元の美しい舞根を知っている人は言葉を失いました。きっと誰一人養殖場の復活を想像できなかったに違いありません。海を見ていても、魚もカニもフナ虫も、そしてそれらを餌にする鳥も全くいなくなりました。千年に一度の大津波で海に生きる力がなくなってしまったのではないか?そう考えるようになりました。
がれき片づけをしたり、津波の始末をしたりしていた5月、京都大学の田中先生から連絡がりました。
「千年に一度の大津波後の海がどう変遷するのか調査チームを作りました。すぐ行きます」
田中先生は到着すると、海水を調べはしめました。海水を顕微鏡で見て
「畠山さん、大丈夫です。カキのえさになる植物プランクトンが食いきれないくらいいます」
とてもうれしかったですよ。そして
「今回の津波で沿岸部分には被害がありましたが、海の背景にある森は壊れていません。森の養分は海に安定して供給されています。もし、森が壊れていた海の復活も困難でした。『森は海の恋人』は真理ですよ」
 この言葉で勇気づけられました。希望も生まれました。

 しかし、壊滅的な被害を受けて、植樹祭を呼び掛ける雰囲気は全くありませんでした。気仙沼だけで1000人の死者、1000人の行方不明者が出ました。舞根の20件のうち、残ったのは6件だけです。森に掲げてきた海の象徴である大漁旗もありません。 そんなとき、ずっと一緒に活動してきた室根山の人々がやってきて
「今年はすべて私たちが準備をします。畠山さんたちはからだ一つで来てください。」
というんです。それにボランティアの方がたくさん協力してくださるといいます。本当にできるのだろうか。
とにかく、植林祭に行くことにしました。

すると、例年に比べてはるかに狭い植林地でしたが、そこには例年に負けないくらいの多くの人が集まってくれました。人々の思いを感じました。
私はスピーチで言葉がつまりながら
「今年はできないと思っていましたが、皆さんが体一つで来てくださいと言ってくれました。
 しかし今年は、例年植林の後にみんなで食べる舞根のカキを持ってくることができませんでした。
 来年、必ず持ってくることを約束します」
そう述べたのです。

森は海の恋人は、森と海・・・だけでなないのだと思いました

 

室根山の方々が、畠山さんのところに来て開催が実現したのです。

「森は海の恋人」は森と海だけでなく、人もつなげていたのでした。

 

(続く)

 

 

 

 

 

120.「畠山さんと森は海の恋人」そして「あの震災」 その⑥ 2011年6月。26回目の植樹祭は?

震災から3か月後の2011年6月に23回目の植樹祭が開かれる予定でした。

しかし、東日本大震災のために開催は難しい状況でした。

 

畠山さんの養殖場も大きな被害がありました。

・養殖施設がすべて流された。
・出荷目前の牡蠣100万個が流された。
・船もすべて流された。
大漁旗もすべて流された。

そして、
 いつも支えてくれたお母さんが亡くなった。

 

畠山さんは大いに悩みます。

畠山さんの言葉から、

 

大震災が起こった2011年の6月。
毎年第一日曜日に行われる
「森は海の恋人」植樹祭は
23回目を迎えるはずでした。

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しかし、震災によって私たちの住む気仙沼だけで

死者が1000人
行方不明者も1000人
を数えました。

舞根地区は20件ありましたが、6件しか残っていません。

家を失って、舞根を去る人も少なくありませんでした。

私の母を含め
3名の犠牲者を出しました。

 

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おばあさんたちは、
2回目の戦争のようだと
涙を流しました。

植樹祭で掲げる、
海の象徴である
大漁旗
も流されてしまい
手元にありません。

 

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壊滅的な被害を受けた
舞根の人々に

「植樹祭を開こう」と

とても言えませんでした。

私は、残念ながら
「植樹祭」を
開かない
ことにしました。

 

支えてくれた母を失ったことや、壊滅的な打撃を受けた舞根の人々の心情を考えて、

長年続けてきた植樹祭を開かないことにしようと考えたのでした。

 

授業でも、この場面を扱いましたが、(後日詳細に)

子供たちは

「開いてほしかった。赤潮も克服したのだから・・・」と畠山さんへの期待を願う多数と、

「生活を支える養殖がだめになったのだから、そちらを先にしなければいけなかったんじゃないか」と考える児童もいました。

いずれにしても、畠山さんの心情を思うと苦しい決断です。

 

しかし、

2011年6月5日(日)

舞根湾に注ぐ大川の上流、ひこばえの森に、

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いつもより、ずっと少ないけれども、

大漁旗が掲げられていたのでした。

続く