粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

204. 総合の授業のあとで。

2月10日2(土)の学習公開・初等教育研修会で、

総合部会の授業提案をさせていただきました。

たくさんの先生方に参観していただいたことに感謝申し上げます。

 

総合の時間は探究的な学習をする時間として、クラスに任された時間は、社会科の発展として学習してきました。

 

例えば、4年生の廃棄物の学習では、徳島県上勝町の「くるくるショップ」をクラスで再現。実際にやってくることで、「必要ない」と分かっていてもどうしても「ほしくなってしまう」人の気持ちの難しさを実感し、廃棄物を減らすことの難しさを体験しました。また、これは学校全体で行われる「ハッピージャンボ」(学園祭的なもの)でも行いました。

 

5年生になったからは、「福島県風評被害」の学習で、福島の安全性を考え、すこしでも福島の方に貢献したいと考えた子供たちが、福島のアンテナショップが日本橋にあることを突き止め、お手伝いをしてそこで物産を購入するという学習をしました。お店の人に「ありがとう」と言われた時の子供たちの良い表情が忘れられません。

 

さて、今回も「畠山さんと森は海の恋人、そしてあの震災」の学習の発展として「家族に伝えられていくもの」を学習しました。以前の2回に比べると私からの提示が強くなっていましたが、それでも、子どもたちには感じるところがあったようです。

 

日記に数名の児童が感想を書いてきたのでその一つを紹介しようと思います。

 

お母さんから学んだこと

 2月10日(土)の研究会でお母さんから一つのお手紙をもらった。その手紙にはお母さんがおばあちゃんから学んだことと、お母さんが私に伝えたいことが書かれていた。私はお母さんは何をおばあちゃんから学んで何を私に伝えたいのだろうと疑問に思いながら手紙を読んだ。するとそこには2つとも他人への思いやりと書かれていた。

 お母さんは太平洋戦争を体験したおばあちゃんから他人への思いやりを学んだそうだ。戦争を味わったからおばあちゃんの行動や考えは自分よりも他の人を優先していたらしい。これを開いて私は改めておばあちゃんを尊敬した。そして、私はいつものお母さんの行動を振り返ってみた。確かにお母さんも他の人への思いやりの気持ちを持っているなと思った。例えば、電車の中で席を譲ったり、夜勉強している私にそっとコーヒーを持ってきてくれたり。いつも周りに気を配っている。おばあちゃんと同じで他の人を思いやっていると思った。

 それに比べて私の行動はいつも自分を優先している。改めて自分の行動を見つめなおした。

 たまにけんかをすることもあるお母さんとおばあちゃんだが、この手紙を読んでこんな家庭に生まれた私は本当に幸せだなと思った。もちろん私のお父さんもおじいちゃんも他の人のことを考えている。私にとって自慢の家族だ。私もみんなのように他人への思いやりを持った人になりたい。最後に、このようなことを知る機会を与えてくださった先生、ありがとうございます。

 

「森海」の畠山さんの家族が受け継いでいるものはとても尊いと思います。

しかし、畠山さんの家庭が特別なのではなく、どの家庭にも受け継がれていくものも思いもあるのだと思います。

そのきっかけになればよかったと思います。そして、家族に感謝し、良い思いを受け継いでいってくれたらうれしいです。

 

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203.公開研究会を見ていただいた先生からのメール

2月9日の公開研究会で、

「もう一つの谷中村」~足尾銅山鉱毒事件にまつわるアナザーストーリー~

を見ていただいた先生から、丁寧なメールをいただきました。

とても熱心な先生で、なるほどという質問をいただきました。

ご質問に答えさせていいただくことは、とても勉強になります。

それを紹介しようと思います。

いただいた質問は青字です。

☆☆☆

 

ご質問ありがとうございます。
答えさせていただきます。

①「本時案を拝見し,学習問題である「正造が姿を現さなかった理由」を追究する中で,ねらいにある「移住した人々」にどのように視点を移していくのか,どのように自治力の価値を考えさせるのか,どのように人権についての視点に気づかせるのかについて,興味をもちました。また,途中から追究する対象が正造から村人に移っていくため,どのように子どもの意識が自然と村人の生活に向いていくのかが楽しみでした。」

板書のように、左サイドに正造、右サイドに茂呂・瀬下・川島らの移住組を配置しています。
本時のスタートは正造の立場で考えていくのですが、当然のことながら、子供たちの発言には移住組のことにも触れていくことが予想されます。
正造は自分の信念のために、家庭や生活を犠牲にし、自分の命すらささげてしまいます。
一方で、移住組は家族の生活やそのほかの事情の上に、やむを得ず移住したというところでしょうか。
ですから、正造のことを考えれば、正造の本を去った人のことも考えることになるので、そちらに流れると思っていました。

自治力の価値は、廃村にならなかった川辺川北村の例で学習していますが、
川島平助が、2度目の廃村の危機の際に歌舞伎で人々の気持ちをほぐし、団結を高めたことで乗り切った事例を通して、
地域の横のつながりの大切さ(自治)を考えていきます。

人権は、全てに当たりますね。正造も川島さんたちもすべて、彼らの人権を保障しようとしない政府によってこのような悲劇になったわけですから。

 

②「実際の授業では,「正造が姿を現さなかった理由」をこれまでの資料や自分の調べてきたことをもとに考える中で,自然と一人の男の子(S君)が「茂呂,瀬下,川島の3人も,本当は行きたくないと思っているかも知れない」という発言をしたところで,先生が「みんなはどう思う?」と切り返したことで,子どもたち視点が移住した側の人々に移りました。このように自然と3人の視点に切り替える発言が子どもから出てくるのは,やはりこれまでのアナザーストーリーの授業での追究の積み重ねを通して,多角的に事象を見て考える力が育っているからなのだと思いました。それ以外にも本単元において,粕谷先生が計算して仕掛けておいたものがあるのではないでしょうか,教えていただけませんか。」

仕掛けは、あると言えばありますね。足尾銅山鉱毒事件なのに、足尾には目もむけず、授業の中心は谷中村にしてしまうこととか。
谷中村を学ぶことで、公害や原発事故、ハンセン病など、難しい局面になると軽視されてしまう人権の尊さを考えることができると思ったからです。
公害は、「利益追求の弊害。環境を大切にしよう」という簡単な問題ではないと思います。根底にあるのは、人の権利の軽視があるのかな。そこにたどり着くための展開には仕掛けがあると思います。


③「話し合いでは教師の出番が最小限に抑えられつつも,子どもたちの意見が自ずとつながり,練り合い高められていく様子がとても勉強になりました。授業を見ていて粕谷先生の板書が,そのことに大きな役割を果たしていることを感じました。私自身,子どもたちを育てていて,自ずと練り合う姿という点では,なかなかこちらが期待するレベルまで高めることができないことが悩みです。この点に関して,粕谷先生が子どもたちを育てる際に,心がけていることを教えていただけると嬉しいです。」

有田先生が「板書は子供の作戦基地」と言っていたどうですが、板書は流れていってしまう子供の意見をとどめておける唯一の場所です。悲しいことにどんなに良い意見でも、板書しなければシャボン玉のように消えてしまうのです。(板書はほとんどない授業もあります。授業での子供の意見は素晴らしいのに、流れて消えてもったいなかったです。板書していればもっと深まる授業は多いと思います。)
ちなみに、今回はあまり練り上げていませんでした。もっと、子供たちの力で「解決を探るような問い」ならば、練り上げがみられます。今回は、正造の気持ちを考えるので、どの意見もよいとなってしまいます。ですから、時折「自分だったら正造のように行動する?移住する?」と問うたのです。最低限度の出場がそれです。

 

④「ある子どもが「政府を止めたくても止まらない,村民を守るには移住した方が良い。」と発言した際に,粕谷先生が「3人は村民を守りたい,じゃあ正造は村民を守りたくないの?」と発問したところから,授業はねらいにある「地域を守る自治力の価値」に迫っていったように見えました。あの子どもの発言は,ノートの記述等から想定済みのものであり,粕谷先生の発問もそれに合わせて用意されていたものだったのでしょうか。」

質問③にもつながりますが、「解決を探る場面」ではないので、このような教師の問が必要になります。これが解決を探る話し合いなら、反対の立場や異なる意見の児童から突っ込みが入ります。教師が問わずとも互いに問うでしょう。
そして、児童の発言をあらかじめ想定していたかどうかですが、正直に言えば、想定していません。でも、誰かが必ずそこに行くという確信があります。なんせ、2年近く一緒に社会科やってますので。ただ、これがクラスを受け持った直後でしたら、あらかじめノート提出をさせてつかんでいたかもしれません。シナリオがあるような感じですね。しかし、そのシナリオ通りを演出するために失われるものもあります。あらかじめ想定しすぎてしまい、授業が誘導的になったりして、子供たちの素朴な声を聞けなくなります。

 

⑤「本時授業には表の学習問題と裏の学習問題があったように見えました。「正造が姿を現さなかった理由」(表)を話し合っているうちに,「移住した村人の生活」(裏)を追究する学習に切り替わっていくイメージです。子どもの問題意識が自ずと切り替わっていく学習展開を組んでいれば,本時最初に想起した学習問題と追及する内容がしっかりと整合していなくても良いという考え方なのでしょうか。」

そういう考えです。学習問題は変化していきます。問いは、表面的なものから本質へと、成長していきます。パット見た写真から疑問に思ったことを調べていくと、本当の問が生まれていくように。
今回は、正造が姿を現さないのはなぜか考えていくと、3人の立場や所蔵と3人の生き方の違いを考え、正造の貫く姿と、それに懺悔する人々の苦悩が分かってくるのです。


⑥「子どもたちの表情を見ていて,「鉱毒に追われて」の衝撃が強かったことが分かりました。移住した人々に心から寄り添っていることが,子どもたちの表情や発言から伝わりました。川島が歌舞伎を始めたことを知ったときの子どもたちは,まだスライドの衝撃の真っ只中にいたように見えました。次時に向かう追究の中で,次時の授業を通して,その子どもたちがどのように考えを深めていったのか非常に気になったので,ブログにあった子どもたちの感想,興味深く読ませていただきました。多くの人々の生き方を重ね共通項を見出している感想は,本単元の学習のみでは決して書くことのできない,これまでの学習の積み重ねを感じる深いものですね。つくづく,子どもたちのもつ可能性を感じました 。

授業後の話し合いでもお話しましたが、情意だけではいけないけれど、情意がなければ、無責任になってしまうのです。また、社会の出来事は人が関わっていますから、社会事象自体が情意と深くかかわっているはずです。ですから、今回も人権を学ぶにあたって、人権を侵されるという厳しさを、人々から学び共感するのです。そうでなければ、多数決ですべて決まってしまい、谷中の廃村は当然のことになってしまいます。強いものや権力のある物の言うとおりになってしまう。しかし、情意を持っていれば、弱い人にも手を差し伸べようと考えたり構想したりする子供が育成していくはずです。そういう授業を積み重ねることで、社会に希望を持ち、主体的に関わろうという児童が育成されていくのだと思います。社会に関わる子どもです。道のりは実に長いものです。


以上、簡単に答えさせていただきました。

また、○○の皆さんと飲みたいです。
学習会などありましたら、いつでも伺いますので誘ってください。

今後ともよろしくお願いいたします。

粕谷昌良

 

はやり、教材も指導も一貫したものをもって望んでいくことが大切だと書いていて思いました。盛り上がることが正義なのではなく、じっくり考えている場面も大切だと思います。子供がじっくり考え、話したいなとか。子供たち同士で、解決を目指したいなというような授業がいいなあと思います。

そういう授業を目指して、着実に取り組んで行こうと思います。

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

202. 「もう一つの谷中村」~足尾銅山鉱毒事件にまつわるアナザーストーリー~ 川島平助さん

前回に引き続いて

 

、川島平助さんの一生を子供たちと話し合いました。

板書は以下のとおりです。

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川島さんが死ぬ直前に残したという言葉。

「俺たちは騙されたんだ。俺が死んだら谷中に帰れ!」

子どもたちは、川島さんがどう考えていたのか意見が2分しました。

 

一つの意見は、国を恨んで死んでいったのではないかという意見。

谷中村を沈められ、肥沃な大地と紹介されてきたサロマベツ原野は未開の大地であったということで、亡くなるまで苦労をしていたという意見。

 

もう一つは、自分の好きな歌舞伎を広めることで人々の役に立てたから最後は幸せではなかったのかという意見です。

 

しかし、どちらの意見の児童も

「正造と同じように、最後まで生き抜いた」

「所蔵と同じように人のために活動した人」という意見は変わりませんでした。

 

そして、子供たちにとっては、超人的な意思とすべてを捨てて、死に場所を求めていたかのような最後に比べ、

生きることを大切にした川島さんへの共感を抱くことが多いようです。

 

授業の最後に、川島さんを掘り起こした武田さんのインタビュー記事を示し、

最後にメグミルクの創始や黒沢酉蔵に触れました。

黒沢酉蔵は、田中正造に傾倒した人物で、農業に不向きな北海道で酪農を営み大成功を収めた人です。

黒沢酉蔵の写真を見た子供の一人が

田中正造?」というほど、正造と酉蔵の晩年の写真は似ているのです。

酉蔵が正造の風貌を模していたと思われます。

 

子どもたちは、正造の考えを受け継ぎ、そして成功した酉蔵に関心をもったようです。

日記には酉蔵の調べがたくさん書かれていました。

もう、子供たちが進んで学習していって、

授業は先回りされてしまっています。

うれしい悲鳴ですね。

 

子どもの感想

・一生国を恨んだだろう。(略)50周年のもようしでは男性の生き残りとして、歌舞伎役者として、歌舞伎役者としてほめたたえられたのだ。役割をはたして達成感を味わいなくなっていった人生ではないか。


・黒沢さんのように正造と同じ気持ちでいた人、受け継いだ人はたくさんいることが分かった。もちろんわたしだって尊敬している。正造がなにがあってもあきらめないこと、命に代えても人々を守ること。川島さんも受け継いでいる人の一人だと思う。田中さんは谷中で。川島さんは佐呂間で。私も正造を受け継いでいきたい。

 

・授業でも学びましたが、黒沢酉蔵さんも田中正造の生き方を深く尊敬していたといいます。僕が調べたところ、黒沢さんは「田中先生が徹底しているのは鉱毒をなくすために戦い抜く姿勢を終始一貫持ち続けた点になる」というようなことを言っていたようです。その田中正造の不屈の精神を受け継ぎ、自分の置かれた環境で農業がダメなら酪農と苦労しながらも開拓し、自分の生きる道を見つけ人々に貢献する生き方をした、人々に貢献する生き方をした人なんだと思いました。田中正造に直訴や国会。川島さんは歌舞伎、黒沢さんは酪農と教育。生きた道は違ったけど、民のためを思って行動する、突き進む。苦労しても貫く不屈の精神は同じだったと思います。田中正造といいう偉大な人がいたから、川島さんも黒沢さんも、その生き方を手本にして生きたものかもしれない。

配布した本時の資料。黒沢さんは正造にみたいでしょ。びっくりします。

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おまけ

これは私の通勤快速

GIOS ANTICO

タイヤは20インチの小径車。

千葉時代チバニアン)からの通勤のお供。

速度はほどほどしか出ないので、

通勤での練習にはピッタリ(エース機「サザビー」だと速度がですぎる)

買うときは、ビアンキの小径車と迷ったけど、

ジオスブルーがきれいなので、こっちに。

満足の買い物。

 

この車両だと気合入りすぎていので、

ポタリングにもとても似合います。

秋に、こいつで神宮あたりから表参道を通ってぶらぶらしたときは気持ちよかったな。

隅田川沿い水の気配が心地よい。

歩いているときとは違う、街との一体感。

自然あふれる田舎を走るのはもちろん気持ちいけど、

東京には、人が作り上げた美しい街がたくさんそこを走るのも気持ちがよいです。

今度は皇居のあたりもよさそうだ。

皆さんも、「自転車がそばにある生活」いかがですか?

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201. 「もう一つの谷中村」~足尾銅山鉱毒事件にまつわるアナザーストーリー~

中断なんて言ってましたが。

今日は教室で一人、子供たちの書いた社会科ノートを見ていたら、

すごくいいことが書いてあって、いつもよりじっくり見てしまったのです。

やらなきゃいけないことはたくさんありますが、

教室の子供のことが一番大切なので。

それにかける時間は削りはしません.

 

 

さて、「もう一つの谷中村」の授業は最終盤に差し掛かりました。

公開研究会では、谷中村から北海道佐呂間町に川島平助さんに焦点を当てて終えました。

その後2回の社会科授業を行い、川島平助さんに迫っていきました。

川島さんは、若き日に東京で歌舞伎を本格的に学び免許皆伝の腕前。

その後、故郷の谷中村で農業に従事するのですが、そこで鉱毒に見舞われ、正造とともに活動します。かの有名な川俣事件でも、若き日の川島さんは中心となって働いたそうです。谷中に遊水地計画によって、谷中村から移住が始まります。北海道に行くという案に川島さんは参加。しかし、妻の実家の反対に合い、妻と離縁しての移住となりました。その後の栃木移住団の苦悩は皆様もご存じのとおり。移住60世帯中、1年後には20世帯が、その翌年にも20世帯が離脱し、廃村の危機を迎えます。川島さんにとっては谷中に続き、2度目の廃村の危機を迎えたのです。しかも、川俣事件で中心となり憲兵からにらまれていた川島さんのことを「川島がいたから佐呂間に移住になった。本当は札幌のそばだったらしい」などのうわさもたてられてしまいます。

そんな時、川島さんは「歌舞伎」をはじめ、村の若い者を中心に教えていきます。そこで、川島さんがどうして、歌舞伎をしたのか考えていきました。

 

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子どもたちは、

板書のようにいろいろな意見を言います。

・歌舞伎の演目を調べる子もいて、義経や歴史の話が中心で、そういう題材を取り扱って政府を非難し、正しい道を説いた。

・活気を取り戻す。明るくしたい。団結を図りたい。などの意見が語られます。

とくに、バラバラになりそうな栃木をもう一度まとめ、絆を作り、未来につなげたいという意見が多かったのです。

 

実際栃木歌舞伎は昭和まで続き、

川島さんは栃木入植50周年の会で、功労者として表彰されます。最初の入植者として生き残ったのは川島さんだけでした。

そのとき、川島さんは、一人歌舞伎を演じます。その時87歳という高齢でした。

翌年、いのちのすべてを燃やしつくしたかのように88歳で亡くなります。

(これを武田さんは「川島平助、サロマベツ原野に 命を燃やす」と表現し冊子にまとめられています。)

私はその姿を見て、グッときましたが、子供たちも例外ではなかったようです。

その時間の感想を。

田中正造と同じように市民のために、自分の命を精いっぱいささげた人だと思う。(略)誰にでもできることではない。僕もそんな勇敢な人になりたい。(略)資料の中に、開拓功労者として表彰を受けたときに「ひとり歌舞伎」を披露したとあるので、仲間はいなかったのだろうか?疑問に思った。

・川島平助は失望して暗い気持ちになっている谷中村住民ののころの人たちに少しでも希望を持てるように頑張ったのだと思う。自分が頑張ることによって、谷中住民ののころの人たちが明るくなるならとやった川島の心は強く、自分を貫いたと思った。畠山さんも自分が正しいと思ってた道をひとになにを言われようとも負けないで貫いた。貫くことによって得たことは、人々の心に灯りをともすことだと思う。人のことを考えられる人は自分を貫いているのか?
 川島平助が、一人歌舞伎をしているとき、男性の唯一の生き残りでもあり、移住して北海道佐呂間町で生きた栃木人の姿を見せたいと思ったのだと思う。もちろん田中正造にも見せたかったのではないか。移住したつらさに心がバラバラになりそうだった村人たちのためにはじめ、自分たちの生きる道を正しいと信じるために続けたのかもしれない。谷中村と佐呂間町で生きた姿を見せながら谷中村を思っていたような気もしてしまう。心は故郷に戻れただろうか?
 つらいことが何度もあるのに情熱を注ぎ続けることができた一生。私ならくじけてしまいそうだけど立ち向かうことが未来につながっている。今、生きている私たちも情熱を感じ、次へどうつなぐか考えなければという気持ちにさせられる川島さんの一生だ。

・(大幅略)北海道へ渡った人は裏切り者なんかじゃない。影の勇者だ。

 

川島さんの一生に、心を動かされた児童が多い1時間でした。

正造、川島さん、それにに畠山さんも・・・。

彼らの生き方の共通項を自然に探っている子どもたち。

かなり、深く考えています。

正造とは違う生き方だけど、困難な状況でも生き抜いた川島さんのアナザーストーリーはもう1時間考えていきます。

次回へ

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87歳の川島さん。

 

只今23:30。結局この時間。公開終わってもこんな調子。でも、1部5年も社会科も好きだから苦ではない。私も貫いていきたいです。なんてね。

 

一人の社会科準備室。さっき物音がした。確実におばけだ。

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200. 200号記念!

前回までの「3年間の実践を振り返る」を書いてみて、

なんだか、余計に来年度頑張ろうと思えてきました。

 

いくつかやりたいことがあるので、取材からがんばろう。

子どもたちが楽しく、そして学びのある授業になればと思います。

クラスの子供達ともあと1年しかないので、精一杯良い授業を創っていきたいです。

 

さて、今日でブログも200号です。

野球の話題(イチローと落合の名言ばかりだけど)が多いことを知ってくださって、

その先生から「200号記念ですね。ホームランも200号だと名球会入り」と連絡くださいました。ありがとうございます。でも、名球会は野手なら2000本安打、投手なら200勝で、本塁打は関係ないんですよ(笑)まあ、どうでもいい話ですよね。メールありがとうございました。

 

年末の再開から今日まで毎日書いてきましたが、少し疲れてしまいました。かなり、ボリュームもあったし。

今日からは、毎日は書かないことにします。数日に1回ペース、週1ペースくらいにしようと思います。

どうぞお許しください。

 

さて、今日は2011年度の千葉県長期研修生の仲間と館山で食事。気の置けない仲間との食事はいいですね。十分堪能。

そして、その前はせっかく房総に行くから、80km練習。鹿野山九十九谷のベスト14分00秒が!連日のベスト連発。冬の間も黙々とローラーやってきた成果ですね。練習と母親は裏切らない(笑)

社会科授業も同じですね。自転車のように数字で結果が出ることはないけど、成長の実感はしっかりできます。周りの方の反応、そして、何より子供たちの反応と成長から。アンテナを敏感にして、これからも頑張っていこうと思います。

 

少しお休みします。また、機会がございましたら読んでください。

ありがとうございました。

 

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 練習後にたんぱく質。よいなあ。

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199.  3年間の実践を振り返る その④

 

⑫「もう一つの谷中村」足尾銅山鉱毒事件にまつわるアナザーストーリー

田中正造。その複雑な人物を、正造自身と正造に影響を受けた人々の視点で考えていきます。そこで見えてくるものは「人権」の大切さではないでしょうか。北海道佐呂間町に飛んでの取材。親切に対応してくださり、貴重な資料をいただきました。武田さん、ありがとございます。

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川島平助さんが、入植50周年の式典で表彰され、80歳を超えた体で歌舞伎を演じる写真はぐっとくるものがありました。子供たちもは正造の生き方、川島平助さんの生き方、そして人権へと考えを巡らせていきました。

 

 

こうやってこれまでの実践を並べてみると、

最初の「さいち」も、東京のスーパーに対してのアナザーストーリーになっていますね。佐藤さん夫妻の取り組みを学ぶと、様々なサービスのそこにある本質が見えてきまます。多角的に考えるってとても大切なんだなと思います。

 

それにしても、取材を重ねたものだけで12実践もあるのか。

われながらよく走って来たなあという3年間でした。

おかげで取材貧乏になってますけど(笑)

 

振り返って私の授業はたくさんの方の協力の上に成り立っていることを再認識いたしました。本当に感謝感謝です。

これからもよろしくお願いいたします。

再訪問したい気持ちでいっぱいです。

 

おしまい

 

 

 

おまけ

今日は、羽生結弦選手の金メダルの報道に感動。

ケガを克服してのメダル。すごすぎる。

それに触発されて、ホームコースの本栖ヒルクライムを決行。

ベストの44分54秒。ついに45分の壁を破る。

結弦パワーだな。

おじさんにも希望をくれる若者。すばらしい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

198.  3年間の実践を振り返る ③ 

檜原村の檜原雅子 4年生

ある子どもが檜原村のパンフレットをみて「先生、檜原雅子だって?なんだろう」とわいわい。それで授業は大幅修正。子供にとことん付き合おうと。すぐに取材すると檜原雅子さんの正体は、移住されてきた戸田雅子さん。お茶づくりを通して檜原村の地域の方のつながりに心を打たれるのでした。

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何度も取材させていただきました。「押し付けてはダメ」という言葉が心に残る。「もう少し販売できれば、若者があとづぎをしてくれるかも」と地域への思いにあふれていました。

 

 

⑩「福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくてもいいんです」5年

福島県南相馬の農家三浦さんを取材。自分の農地を放射線で汚染され、相馬に移っても風評被害に悩まされていますが、そんなことには負けないと前向きな姿勢に心を打たれました。将来を見据え、太陽光発電を行い、再生エネルギーの町を目指します。

子供たちは、街頭インタビューや福島のアンテナショップ購入のためにお手伝いをして資金を得るなど、総合につながった実践。

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私が元気をもらうほど元気な三浦さん。除染されて菜の花が育たなかったのに、育っている姿を見てうれしそうに写真を撮られていました。将来に向かって力強く歩んでいらっしゃいました。

 

⑪畠山さんと森は海の恋人、そしてあの震災  5年

有名な「森は海の恋人」に新たな視点を加えて教材化しました。「森は海の恋人」は森と海だけでなく、「人づくり」を行っています。震災直後、その後に「人」と「地域」の果たす役割の大きさを実感させられました。舞根の美しさは何度伺っても感動します。

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貴重な大漁旗ずっとお借りしています。すみません。3月にお返しに伺います。来年は30回目の植樹祭。クラスの子供たちも行きたいと言っていますが、難しいかな?

 

つづく