読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

55.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑩   運命の12月19日

 

ずいぶん長い間お休みをしていて申し訳ございませんでした。

後藤新平が曲げてでも貫いたもの」も佳境に入ります。

前回(51)で、政友会など後藤の「復興」とは考え方が違い、「復旧」にとどめることを主張し、後藤の予算案を削っていきました。そこで、どうして後藤新平がどうして100年後を見据えたのかを勉強しました。後藤の年表や当時の市民に流行した歌から、後藤の考えに迫っていきました。

そして、今回はいよいよ、復興計画が修正に修正を重ね、予算案が決定する12月19日の場面です。これまでに30億円超の計画を5億まで減らされています。

しかも、この土壇場の12月19日の予算委員会で、政友会が求めてきたものは

①さらに、1億600万円の削減

②復興委員の事務費を全額削除

というものでした。

これは、後藤新平の復興委員をつぶす計画で、

政敵である後藤を政界から追放しようという意図がみられます。

これを、子供たちに資料で配ります。

裏にして配くばり、一斉に表を開けさせて読ませます

すると、「えー。」「ひどい!」の声が教室に響きます。

 

配布資料

政友会の修正案 1923年12月19日
新平が心血を注いだ復興計画は、3度の復興審議会と帝国議会の開催で、4億4800万円まで削減されていた。
 そして、運命の衆議院予算委員会が12月19日に開かれた。そこで、後藤達を待ち受けていたのは、政友会の大修正だった。さらに1億600万円の削減を求めてきたのだ。4億4800万円まで減らされた予算から、さらに1億600万円の削減。この削減は政府にとって、致命傷になりかねない。
それに加えてか、政友会は後藤の復興院の事務費の全額削除を求めてきたのだった。
政敵である後藤を政界から追放するつもりらしい。

 

子供たちに感想を言わせると

・政友会は復興しようとかではなくて、後藤と政治の争いをしている。

・市民のことがおいていかれている気がする。

・話の中心がずれている。

・後藤に同情する。

という意見でした。政治とは何か・・・。子供たちはそんなことを考えていました。

さて、この政友会の案を飲むのかどうか。

子供たちは「反対すべき!」の意見が多いようです。

教室は盛り上がっています。

そこで、2枚目の資料を配り、今度は私がじっくり読みます。

資料は、後藤が復興のために呼び寄せた、米国のまちづくりの権威

ビアード博士の書簡です。

 

資料

しかし、後藤ら山本内閣には、総辞職・総選挙という抵抗の道が残されていた。新平の周りには部下が集まり、戦うべきと声を上げたという。その熱気はすさまじいものだった。
部下以外にも、後藤に戦うように意見を述べた人物がいる。アメリカのビアード博士である。


「親愛なる友よ。
 世界の目は日本の上にある。
 死せる10万の男女小児の声々は叫ぶ。
 その価値、50億の財宝は焦土となって横たわっている。
 世界の目はみな、後藤の上にある。
 死者の声も響き渡る。
 それはどうしてか。
 この危機に臨んで、後藤に復興を期待したからである。
 もし、災害の再発を阻止する計画を死守しなければ、期待に背いたというべきである。
 それは、日本の失敗である。失敗すれば、10年ないし50年後の危機に、さらに広範囲の大災害を誘発することになるだろう。
 今、あなたに向かって呼びかけるのは、日本である。現在と将来の日本である。
 かつてロンドンで大火があった。すべての歴史家は1666年にロンドンを復興したサー・クリストファー・レンの名前を知っているが、その計画を妨害した偏狭小心の国会議員をだれが覚えていようか。
 将来の災害に対して人命財産を防衛するに足らない小計画を立てるは愚挙である。

 しかし、本当の政治家を選ぶ市民の数が足りない。政治的な名誉を求めるものもいる。
それを乗り越えて、数日のうちにあなたは決断して、数百万の民衆の運命を決めるべきだ。

 私は、このように考える。さらばわが親愛なる友よ。今日を目標として建設することなかれ。ねがわくば、永遠を目標にして 東京を建設されよ。」

 誠実かつ忠実なる
チャールズ・A・ビアード

 彼がいかに心を込めて書いたかは、その文字の気迫をもって知ることができる。後藤の要請で日本に来て以来、深く日本を愛した彼は、この千載一遇の時に当たり、その心の友後藤新平が復興に当たりながら、好機を逃して、災いを100年後に残そうとするのをみて、耐えられなかったのだ。

この手紙を見た中小路は、「外国人ですらそういうんだからなあ!」そう言って泣いた。
中村是公は、ぼろぼろ、ぼろぼろととめどなく涙を流した。そして、後藤に戦うべきだと怒鳴るのだった。

 

子供たちは、ビアードや側近などの心情を察し、「戦うべき」という声を挙げました。

具体的な場面を取り上げて、後藤の貫いたものを考える展開。

具体ゆえに、身近に感じて誰もが考えていました。

次回、後藤はどうすべきなのか考える予告をして授業を閉じました。

 

子どもの感想

・僕だったら戦う。なぜなら、勝てるチャンスがあるからだ。無理だっからあきらめるけどまだ大丈夫だ。後藤は都民から信頼されているし、都民は自分たちの安全を願っている。だから、チャンスはあるのだから、それを捨てはしないと思う。また、自分のプライドもある。負けてもいいからやるべきだ。
・私なら戦う。このまま政友会の言いなりになりたくないし、新平の復興計画を執行しなければ、またたくさんの犠牲が出てしまう。ビアード博士の期待にも、部下の期待にも応えなければならないと思う。それに戦わないと後悔すると思う。
・台湾と満州のまちづくりをしてきた経験をいかしたいし、医者として衛生面の大切さも知っているから、自分のやっていることが正しいことだと分かっている。日本はまた同じような地震が起きるから、未来のことを考えたまちづくりを絶対にした方がよい。
・僕が新平なら解散して戦います。なぜなら金額の話とは別に、復興を強く願う東京市民の気持ちに新平がまず答えるべきだと思います。今は、新平は市民から信頼を得られているが、ここで戦わなければ、心が一気に離れてしまうと思う。市民の声を味方につけることが大切だと思う。

 

 

f:id:syakaikajugyou:20170228135505j:plain

54.社会参画を見据えた授業 唐木清志先生と社会貢献学習シンポジウム

新しい学習指導要領の社会科の目標は

「社会的な見方・考え方を働かせ、課題を追究したり解決したりする活動を通して、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和的で民主的な国家及び社会の形成に必要なこうみんとしての資質・能力の基礎を次のように育成することを目指す。」

として、そのあと、

①生きて働く「知識・技能」

②未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力」

③学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性

が社会科の資質・能力として記されています。

社会科だけでなく、各教科にわたって「何を知っているか」から「何ができるようになるか」という視点での指導の改善が求められていることは明らかです。

社会科の場合でも、

指導の取り扱いに

「選択・判断」「立場を明確にして」「自分たちができることを」

と何か所も記されています。

私は「問い」が1つでは成り立たなくなるのではと感じています

「どのように」と社会事象の仕組みを捉えたあと、

「どうすべきか」「どうあるべきか」を問うていく必要があるのだと思います。

それを考えることで、複数の立場に立って考えることや、

複数の立場が分かったうえで、自分はどうしようかと考えることができるのではないでしょうか。

前に書かせていただいた、ストーリーとアナザーストーリーのようなことが必要だと思います。

また、教材そのものも、公共的なものを取り入れていく必要があると思います。

これまでの仕事に加えて、税金の仕組みやボランティアなどの社会貢献も教材として求められるのだと思います。

その様に漠然と考えていましたら、

日ごろから大変お世話になっている、筑波大学の唐木先生が3月18日土曜日に「活動合って学びあり!の社会貢献学習へ」というシンポジウムを行われるそうです。

私も参加しようと思います。関心のある先生は参加されてらいかがでしょうか?

f:id:syakaikajugyou:20170223194553j:plain

 

53. 2冊の本を発売されました。

今月、私が関わらせていただいた本が2冊発売になりました。

1冊目は『「資質・能力」を育成する社会科授業モデル』です。

この本は、ベーシック研究会(理事長 白石範孝先生)のシリーズとして各教科から発売されます。その中の社会科の本の担当をさせていただきました。

新しい指導要領では、3つの「資質・能力」を育成することが示されています。そのために、主体的・対話的で深い学びの実現が求められているのですが、これだけではイメージが難しいので、より授業に近い例を挙げてお示しすることにしました。

社会科では、問題解決的な学習を展開するために必要な、「9つの力」をソーシャル9として示しています。

そしてソーシャル9を働かせたり、育成したりする授業モデルを詳しく紹介しています。執筆された先生の渾身の実践を読むことができます。

f:id:syakaikajugyou:20170216115028j:plain2冊目は、『子どもの追究力を高める 教材&発問モデル』です。

こちらの本は、私が事務局長を務める「小学校社会科授業づくり研究会」で作成したものです。授業づくりのキーとなる、教材と発問の一般的な事例をBeforeとし、改善した事例をAfterとして示したものです。

改善の視点は①これまでの経験をくつがえす ②数量に対する驚き ③怒りなどの心情に訴える ④多様な見方・考え方ができる ⑤価値の対立を引き起こす です。

2pでひとまとまりなので、実践の詳しいところまではわかりませんが、この本の魅力はなんといっても60事例が収められている点です。注目に値すると思います。実際の教材開発や発問の工夫の参考になると思います。

 

どちらも、この数か月、こだわって書いてきたものです。お読みいただけたらありがたいです。

f:id:syakaikajugyou:20170216115848j:plain

52.公開授業への参観、ありがとうございました。

2月9日10日に行われた、筑波大学附属小学校学習公開・初等教育研修会にご参加いただきありがとうございました。

また、1部4年粕谷学級の授業を参観していただいてありがとうございました。

多くの先生方に参観していただき、子供たちも喜んでいました。

 

9日は「後藤新平が本当に貫いたもの」

10日は「どうして戸田雅子さんは、檜原雅子になったのか」でした。

どちらも、「まちづくり」や「市民」に焦点を当てた授業で、

私が関心のある分野です。

 

さて、参観後にある先生からご質問をいただきました。

「どちらも、数時間の授業を経ての授業で、1回きりの授業ではありませんでしたが、どのように進めてきたのですか?」

というご質問です。鋭いご質問です。

じつは、この1か月後藤新平の授業を第1社会」「檜原村の学習を第2社会」として行ってきました。まるで、中学の歴史と地理のようにです。

 

理由は、どちらの授業も掘り下げていくと、「地域づくり」や「市民」に行き着くと考えたからです。両方の授業が互いに影響を及ぼしあって、「地域づくり」や「市民」についたの考えを深めることができるのではないかと・・・。

時期学習指導要領では、高等学校に「公共」が新設されます。

この公共では、現代の諸課題を考察して、他者と協働しつつ、国家・社会の形成に参画し、持続可能な社会づくりに向けて必要な力を育むとされています。

おそらく、高等学校での政治参加を目標にしているのでしょうが、それを受けて小学校では何ができるのか?

「街づくり」「市民」をテーマにして考える場面を設け、2つの単元を閉じたいと思います。

おそらく、成果もあり、課題もあると思います。

何らかの機会に発表できればと思います。

 

とにかく、参観ありがとうございました。

f:id:syakaikajugyou:20170213110633j:plain

f:id:syakaikajugyou:20170213110654j:plain

51.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑨ 新平と東京市民のつながり

年表から、新平が

・幼少期に藩が賊軍となり、他家に出されたこと。

・苦学して医師となり、公衆衛生に関心があったこと。

・台湾や満州で街づくりを進めたこと

・海外へ留学していたこと

・降格人事を受け入れて、東京市長になったこと

・市長になって、給与を全額寄付したこと

などを学びました。

さらに、新平の言葉を児童に続けて示します。

「私は復興事業については自分で当たるよりほかはないと決心しました。私に直接させるようにしたのは東京市民の後援であると思っております。先に東京市長であったのはわずかな間でありますが、東京市民諸君のご好意をいただきました以上、これに報いる道を取らざるを得ないとわたしに決心させたのであります。この大震災に当たって、努力のいかんにかかわらず、東京市民の後援をあったならば、いかなる難事であっても成し遂げえると考えたのです。私は内務大臣になることを、8月28日に約束していたのではありません。ただ、あの震災が私に内務大臣になるようにしたのです。」

と、東京市民への感謝と思いを口にしています。

一方の東京市民は?というと、

♪銀座街頭泥の海 種をまこうというたも夢よ アラマ オヤマ
 帝都復興善後策 道もよくなろ 街もよくなろ 電車も安くなる エーゾ エーゾ
新平さんに頼めば エーゾ エーゾ

これは関東大震災後にできた「復興節」の一説である。どんな沈んだ世の中でも、人々は歌を求めている。「復興節」はたちまち多くの人に歌われることになった。「新平さんに頼めば エーゾ エーゾ」 


ここには、バラックで必死に生きようとする東京市民の、後藤への期待が感じられます。

すべての市民がこのように期待していたとは、もちろん言えないと思います。しかし、歌ができるということは期待の大きさを伺うことができます。

この両者のつながりの中で、新平は復興計画に着手するわけですが、

政界では、後藤は猛烈な反対にさらされることになります。(続く)

子供の感想

・歌まであるくらい市民から信頼されているんだなと思った。後藤は一人の命でもいいから助けたかったのだと思う。最初は一人しか助けられないが、医者の仕事を始めて、そのうち政治家なら一気にもっと多くの人を助けられると気づき、政治家になったんだと思う。

・後藤さんは小さいころ自分の藩がつぶれたりして平民にさせられたり苦労をして大きくなったので、平民の気持ちを理解していた。だから東京が地震でダメになったとき、だれもが住みやすく、活動しやすい場所にしようと努力したのだと思う。完璧な東京を目指したのがすごい。私が新平さんなら反対に託さなったらあきらめていたかもしれない。
・僕はなぜ新平が100年後の世界が分かったのかというと、医者から政治家になり、外国留学もしていたので、次に来た時に備えて、外国の良いところ+人の命を奪われない方法を考えて計画したから、何億かけてでもよいと思った。

・僕は新平が100年後を見通すことができた予想は3つある。一つは新平が11歳の時に、戊辰戦争を経験してもう人を死なせたくなかったからだと思う。2つ目は41歳の時、台湾の植民地化の経験があったから、そして3つ目は45歳の時、ヨーロッパを視察したことだ。これらのことにより進んだ技術を知ったりして計画を立てることができたのだと思う。
・医者という仕事をしていたので、人とは違う発想で病気も行政も考えられたんだと思う。だから、ごちゃごちゃした東京を見て、これではいけないと先を考えたんだと思います。
・僕はやはり市民に共感したからだと思う。医師を昔やっていて、公衆衛生に関心もあった。きっと街そのものをよくして、みんなを助けたかったんだと思う。外国のいいところも知っていたので、100年後を把握できたのだと思う。

f:id:syakaikajugyou:20170213104117j:plain

50.明日から筑波大学附属小学校の公開研究会! ~謎の先に見ある真実をつかめるか?~

明日から2日間、

2月9日(木)10日(金)と筑波大学附属小学校

「学習公開・初等教育研修会」が行われます。

私は2日間とも、社会科の授業をします。

9日は、現在連載中の

「東京のまちづくり、今むかし」~後藤新平が曲げてでも貫いたもの~

10日は、

「東京都唯一の村、檜原村島嶼部を除く)」~地域おこし協力隊はまちを起こせるか~

を行います。

9日、後藤新平の授業は、復興会議を重ね、いよいよ予算決定をする場面で、後藤の政敵である政友会が、さらなる予算削減と後藤の復興院の予算を削除するよう求めてきた場面を扱います。

後藤が心血を注いだ復興計画を否定するだけでなく、後藤の政治生命を奪おうとする政友会に対して、後藤の対応はただ一つ。解散総選挙に打って出ることしか残されていません。部下や友人のビアード博士が解散を支持するなか、後藤の決断はどうなのか迫っていきます。

後藤がその生涯の集大成として建てた、未来の東京の復興図を貫けるのかどうか。ついにクライマックスです。教材研究をしてきた私は、少しウルウルです。

子供たちも盛り上がています。

 

10日の檜原村の授業。檜原村に派遣された地域おこし協力隊のインタビュー記事から、制度の難しさを感じた子供たちは、檜原の名産品パンフレットに「檜原雅子」に注目します。変な名前だ。どうやら紅茶を生産している人らしい。それにしてもどうして「檜原雅子」なのか?

子供の予想は

東京ばな奈のように、檜原をアピールするため。

・笑いを取るため。

・檜原が好きだから。

・檜原に住んでいるから。

・でも、それじゃたくさんのひとが「檜原」になってしまう。

・僕だったら、渋谷区に住んでいるから「渋谷○○」

・だったら。俺も「渋谷◇◇」

・どっちが本物?。

・俺だ

・僕だよ。

・もめるね。

・偉い人なんじゃない。

・村長の奥さんか?

・檜原に一番詳しいんじゃない。

・一番年寄りなんじゃない。

・紅茶を檜原で初めて作った人じゃない?

などと予想。いずれにしても、「檜原雅子」となるくらいだから、

檜原に昔から住んでいて、みんなから一目置かれていると予想。

 

しかし、予想は見事に裏切られる。

「檜原雅子」は本当は「戸田雅子」さん。

しかも移住者だったのです。

どうして、移住者が檜原を名乗れるのか?

深まる謎。謎のその先にあるものは?

「檜原雅子」を通して地域おこしに必要なものは何か考えていきます。

 

どちらも、この数か月、私が取材を重ね、次期指導要領を見据え、

社会的なものの見方や考え方を意識した授業です。

「その先にある真実」をつかむことができるか?

子供と精一杯楽しみながら授業をしたいと思います。

f:id:syakaikajugyou:20170208212821j:plain

f:id:syakaikajugyou:20170208212900j:plain

 

49.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑧ 新平の内面を探る子供たち

「復旧しただけでは再びの災害を防げない」

「人力車の時代に40mもの幅の広い道路」

「広い親水公園、鉄筋の橋」など、

当時の人が理解できないような計画を立てた新平。

いったい「どうして新平は100年後を見据えることができたのか」

それを考えていきます。

子供たちの予想は

・苦しむ市民に共感したのではないか。

・自身の研究をしていたのではないか。

・子供のころに何か経験したのではないか。

・政府としての役割を考えたのではないか。

・必ず地震は来るという確信があった。

というもの。

そこで、関東大震災を迎えるまでの新平の年表を調べました。

4年生らしい、歴史的なものの見方・考え方は、

「過去にさかのぼって調べたらわかる!」という必然があることだと思います。

この場合はまさにそれです。まあ新平が歴史上の人物なので、その新平の過去・歴史という二重構造ですけど(笑)

示した年表は以下のようなものです。

誕生から、青年期
1857年 現岩手県奥州市水沢区 留守家家士後藤家の長男として生まれる

1867年(明治元年)11歳 戊辰戦争で仙台藩敗れる

1878年(明治2年)12歳 留守家削封に伴い後藤家は平民になる。新平は他家に預けられる。

1874年(明治7年)17歳 福島の医学校に入学

1876年(明治9年)19歳 愛知県立病院に勤務。ローレッツ博士に指導を受ける。公衆衛生に関心。

1881年(明治15年)24歳 愛知医学校長就任

1882年(明治16年)25歳 岐阜で襲撃された板垣退助を手当てする。

1890年(明治23年)33歳 ドイツへ留学

医師から政治家へ
1892年(明治25年)35歳 内務省衛生局長に就任

1895年(明治28年)38歳 日清戦争からの帰還兵の検疫を指導。

1898年(明治31年)41歳 台湾の植民地化。町づくり・統治に関わる。

1902年(明治35年)45歳 新渡戸稲造とともにヨーロッパ視察

1906年(明治39年)49歳 南満州鉄道総裁就任 満州朝鮮半島と北部)の町づくり・統治をする。

1908年(明治41年)51歳 逓信大臣 鉄道院総裁

1916年(大正5年)59歳 内務大臣・鉄道院総裁

1917年(大正6年)60歳 都市研究会を発足させ、会長に就任。

1918年(大正7年)61歳 外務大臣を兼任

1920年大正9年)63歳 東京市議会、渋沢栄一らの勧説で、東京市長就任

1921年(大正10年)64歳 市長俸給全額を市に寄付。東京の町づくり「8億円計画」の提出

1923年(大正12年)66歳 東京市長辞職
              関東大震災 内務大臣・帝都復興院総裁

 

子供たちは、ここから意見を出し合って、考えていきます。

すると

戊辰戦争日清戦争など、戦争を経験しているので人を死なせたくないという気持ちが強いのでは。

・武士から平民になったから、平民の苦労を知ってるから助けたいと思ったんじゃないか。

・いや、台湾や満州で街づくりを経験しているから、その経験が大きいんじゃないか?

・そうだよね。経験しているから、どうやったらいいか考えが浮かぶんだと思う。

・外国にも留学しているから、そこで、立派な街を見てきたんだと思う。

・医者として公衆衛生に関心があったと書いてあるから、衛生的な街はどういう風な街なのか考えていたんじゃないか。

東京市長にもなっていたから、震災以前から東京の町づくりを考えていたんじゃない。

・だから、お金がもったいないというより、お金は市民のために使うべきという考えがあったんじゃないか。

・医者っていうのは、一人しか救えないでしょ。でも政治家は一度に大勢を救えるから、政治家としてできることを考えたんじゃないか。

などの意見が出されました。

私は、新平の台湾・満州での経験は大きいと思います。子供たちもそこに気づいています。さらに、「医師は一人しか救えないけど、政治家は大勢を救える」という意見。新平がそのような気持ちで、政治家になったかどうかは私の調べではわかりませんが、物の考え方として、いいなあと思いました。今度、博物館の中村さんに聞いてみたいと思います。

以前の、「市民の側から」という児童の発言も素晴らしかったのですが、子供たちは私を越えてくるのでそういう時はうれしくなります。授業をしていて楽しい時です

新平は、どうして100年後を考えることができたのか?それは新平にしかわからなのですが、年表からその内面を探りました。さらに深く探るために、新平がどうして東京市長、内務大臣になったのか。彼の言葉から考えます。(次回へ)

f:id:syakaikajugyou:20170203232718j:plain