粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

92.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑧

街頭調査の結果を考察しました。子供たちは ・意外と気にしない人が多かった。 ・絶対に食べないという意見も多く、特に小さい子供がいると食べさせたくないそうです。 ・高齢者は、平気だという意見が多かった。 ・国の基準が甘いんじゃないかという意見も…

91.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑦

街頭インタビューに行く! 福島のおコメのあまりの安さに驚いた子供たち。 安全でも、食べてくれない風評被害を知りました。 子供たちは40名中37名は食べるべきだと言います。 「まちの人たちは本当に食べてくれないのか?」 「どうして、食べてくれないのか…

90.「福島のおコメは安全です。胸を張っていけるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑥

15年かけて開発した「天のつぶ」 米作りの単元を学習していると、品種改良が出てくるのですが、 福島にも「天のつぶ」という品種改良されて作られたおいしいおコメがあります。 「天のつぶ」は15年という長時間かけられて作られた品種です。 福島は震災前全…

89.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑤

南相馬の小高の農家、三浦広さん。 震災前に比べて、収穫量が4割になってしまった浜通りの農家の方はどうしているんでしょうか。 子供たちは、「福島から離れたくないから、会津に移動して農業をしているかも」「もう農家をしていないんじゃないか」「他の…

88.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」その④

下のような写真を何枚か子供たちに見せます。 「原っぱ」「草むら」という声が聞こえ、そのうちに 「田んぼだったところじゃない」という発言が出てきます。 「そうだ、田んぼだ!」 そこで、『どうして、田んぼなのに、草むらのように見えるの?』と発問し…

87.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その③

原発事故と現在の浪江・南相馬 前回震災について触れたので、子供たちとスライドで私の言った福島県浜通りを見ていきます。 筑波大学附属小学校から浪江町まで、Googlemapですと、267キロメートル3時間半かかると表示されます。実際に私が訪れたときもちょう…

86.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その②

確かな判断をするのための、地道な認識の積み重ね。 東日本大震災時、5歳だった5年生が、福島の農業を脅かす原発事故と風評被害を学ぶには、その下地作りが大切です。確かな判断をするには、その判断材料が欠かせません。今回の学習に必要な知識・情報は ①東…

85.震災が残したもの~福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」その①

新しいシリーズに入ろうと思います。 新しいシリーズは、現在授業で行っている、 震災が残したもの「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」です。 震災から6年が経過し、報道でも震災が取り上げられることがずいぶ…

84.公開が終わりました。 参観ありがとうございました。

17日(土)は筑波大学附小学校の2日目でした。 この日は私が授業をしました。 多くの方に参観いただきましたことに感謝いたします。 授業は、子供たちがとてもよく頑張ってくれました。 「風評被害」と日本の農業のこれからを考える難しい問題でしたが、 子…

83.授業前日の空気感

16日は筑波の公開の1日目でした。 お祭りのような少し盛り上がった気持ちと授業への不安が同居した 得も言われぬ心地です。 準備の仕事を終え、中央ホールで全国からいらっしゃった先生方をお迎えします。 感謝の気持ちを伝えることは、笑顔とあいさつでしか…

82.公開前日 「粘る」

明日は公開研究会です。 総出で準備をします。 終わって、授業の準備。 児童に配布する資料を修正したり、印刷したり。その他いろいろ限りなく・・・。 それから、昨日保護者の皆様にお願いをした コメントを読んで整理。 おとといの段階まで、別の資料を用…

81.公開2日前「弱い人間なんです」

公開2日前です。明日は前日準備で、自分の時間が取れないので この2日前が貴重な時間です。 そんなわけで、今日はやるぞと放課後すぐにpcに向かい始めます。 でも「弱い人間なんです」(由井薗先輩の言葉) 21時を回って、パワーダウン。 授業をどうする…

80.いよいよ筑波大学附属小学校 6月の公開研究会

毎年6月と2月の開かれる筑波大学附属小学校の研究会が、今週末の16日(金)17日(土)に迫ってきました。私は5年生の担任をしています。私のクラスは16日の金曜日は家庭科の授業をします。もちろん私が指導者ではありません。(ちなみに、私は高学年を持って…

79.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑳ 最終回

戸田さんの案内が終わると、もうあたりは暗くなり始めていました。 「この辺りは、谷間の道から登ってきたところで、空が開けているの。 夜は星がきれいに見えて、とても良いところです。またいらっしゃってください」と戸田さん。 この日は天気が悪かったの…

78.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑲

清水ひろ子さんと操さんの取材を終えて私は、 戸田さんの案内で、南郷の里を案内してもらいました。 いきなり、驚かされたのですが下の写真にお茶の木があるというのです。 戸田さんが指さすところに、お茶の木があるのが分かるでしょうか。 ほかにも、 お茶…

77.気づいたら77回も書いていたのか。77回記念。

この連載は~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ですが、 今教室では、5年生の食料生産について、福島の浜通りで農業を営む三浦さんを教材にして学習しています。 今でも、2011年3月11日の東日本大震災と翌日の福島第一原子力発電所の水素爆発以降の緊迫し…

76.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑱

戸田さんにお茶づくりを教えた清水ひろ子さんと清水みさおさんにお話を伺えることになりました。 お話を伺っている途中で戸田さんも片づけを済ませていらっしゃった。 その時の清水ひろ子さんの雰囲気が変わりました なんというか、ほぐれたというか、明るく…

75.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑰

払沢の滝「厳冬祭り」を後にした私は、 戸田さんから「清水さんというお宅に先に行ってて。先生が行くことは伝えてあるから。私も片づけたら行きます」 ということで、南谷をの社会科キャラバン号で登っていきました。 南谷は何度も通っているので、大体の予…

74.東京都で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん」~ その⑯

このようにして、檜原村 払沢の滝「厳冬祭り」では、 檜原村で活動をしている皆さんが一堂に会して出店しているイベントです。 イベントを取り仕切っているのは、払沢の滝への入り口にある、お豆腐屋さん「ちとせ屋」のご主人高木さんです。高木さんにお話を…

73.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑮

引き続き、「厳冬祭り」でお会いした皆様のご紹介。 筑波に異動してきてから2年が経ちました。移動するまで17年間教師をやってきましたが、筑波はこれまでのどの学校とも全く違うので、初任者のように朝から晩まで仕事一本になっていました。 社会科の教材研…

72.東京都で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん ~その⑭~

前回に引き続き、「厳冬まつり」でお会いした、檜原村で活動なさっている方々を紹介いたします。 はちみつやさん 岡部さん夫妻 旦那さんは檜原に人。奥さんは三鷹に住んでいた。 奥さんお話 自然が好きで、檜原に来ました。あまり考えずにとにかく行けば何と…

71.東京都で唯一の村、檜原村 「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑬

檜原までの道のりもだんだん慣れてきた気がします。 この日は「払沢の滝祭り」でしたので、役場の前にはいつもより人が多い気がします。交差点を右折して北谷すぐの総合運動場の駐車場に止めて歩いていきます。見事な河岸段丘の上です。 都内では小雨の予報…

70.東京で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑫

戸田さんは、檜原に移り住み、そこで生活しているうちに偶然お茶の木に出合ったことが分かりました。 そして、地域の古老の清水さんに声をかけられお茶摘みをすることになりました。 お茶が飲めるようになるまでには、たくさんの工程があり、十日町や静岡ま…

69.東京で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑪

戸田さんから連絡を受けた私は、 すぐにお会いする約束をさせていただきました。 戸田さんは檜原に移住したものの、旦那さんとお子様たちは都内にいるとのことでしたので、そちらの家で会うことになりました。 自家用車(自称社会科キャラバン号。足が固いの…

68.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑩

2月の公開も迫り、授業は予定通り進んでいました。 1月も押し詰まってきたある日。 最近、放課後に将棋好きの子供たちに相手をしてもらって、将棋を指しています。 将棋を本格的にやったことはなく、子供のころ祖父に教えてもらったけど、 あまりはまらず、…

67.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑨

地域おこし協力隊の学習していけば、「過疎」の問題を考えることができます。 ・野村さんの話をはじめとする現在の檜原村の様子(起) ・政府の対策としての「地域おこし協力隊」に広がり(承) ・実際の「地域おこし協力隊」(転) ・これからの檜原村(結…

66. 東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑧

「地域おこし協力隊」というヒントをつかんだ私でしたが、 実は、気づかないうちに檜原村の「地域おこし協力隊」の隊員の方の情報をつかんでいました。 前回の檜原村取材で第3セクターのスーパー「かあべえ」に行った際、そこに檜原村の案内フリーペーパーと…

65.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子~ その⑦

一度目の檜原村取材では、檜原の地理や自然を感じる楽しい時間を過ごす一方で、過疎に悩む現実が根強いことを感じ、どのように教材にしていくか悩まされました。 この時期は、「後藤新平が本当に貫いたもの」という単元も開発していたので、火の車で、そちら…

64.東京都で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑥

お昼をとうに過ぎていたので、北谷のお蕎麦屋さんで食事をしました。お客さんも多くにぎわっていました。 さて、役場の交差点まで戻り、今度は南谷を行くことに。 多摩川にそそぐ秋川は、この役場の北谷沿いは秋川、南谷沿いの流れは南秋川というそうです。…

63.東京で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑤

さて、第三セクタースーパー「かあべえ」をあとにした私は、 北谷の郷土資料館へ向かいました。 郷土資料館に行けばそのまま教材になるというようなものはありませんが、その土地の歴史、地理、文化を知るうえで欠かせない場所です。 郷土資料館にいくと、学…

62.東京で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~

のらぼう菜に縁がなかった私は、五日市から奥の檜原村に向かいました。 檜原村に入るには、東京からですと五日市から入ることになります。この道が檜原村の大動脈になると思います。他にも山梨の上野原や奥多摩湖の方からも入りますが、この2本は特に冬は凍…

61.東京都で唯一の村、檜原村(島嶼部を除く)~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~その③

いよいよ檜原村に取材に出かけます。 前回少し書きましたが、今回は約束をした人物や目当ての場所がある取材とは違い、とにかく檜原村に行って、子供たちと学習するべき内容を見つけに行く道のりです。 そうはいっても、副読本やインターネットで調べてはい…

60.東京都で唯一の村、檜原村(島嶼部を除く)~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~その②

○檜原村の教材研究 授業を作るにあたって取材をします。 取材に行く前に、大体の目星をつけていきます。 今回の4年生の特色ある地域でしたら、その地域の「地理的」「産業的」「行事的」特色を教材化するので、それをある程度調べてから行きます。 今回の檜…

59.東京で唯一の村、檜原村(島嶼部を除く) ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その①

2か月近く休んでしまったので、もうやめてしまったのかと思われた方もいると思います。今日から再開していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 今回は、新しい学習指導要領の中から、「多角的に考える」について、「檜原雅子」実践を軸…

58.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑬  ~未来につながる新平の志~

後藤は自分の立てた復興計画を実現できないまま、政界を去りました。 しかし、現在の東京には、昭和通りや大正通り、隅田川の復興橋脚、復興小学校など 後藤新平による復興といわれるものが多く残り、教材でも取り上げられています。 実際には新平が内務大臣…

57.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑫  ~後藤新平が曲げてでも貫いたのも 後編 ~

前回(56回)、後藤が政友会の修正案を受け入れて、政界を去ったところまでを書きました。今回はその続きです。 さて、子供たちは、落胆の声を挙げます。 ○自分の復興計画を最後まで貫いてほしかった。 ○負けないでやり遂げてほしかった。 しかし、一方では…

56.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑪  ~後藤新平が曲げてでも貫いたもの~

12月19日 予算決定の場面で、復興委員会が開けれるたびに予算削減されてきた新平の復興計画案は、最終場面においても政友会の反発にあい、さらに1億600万円、復興院の事務費カットを求められます。政敵である新平を政界から追放しようという狙いがあります。…

55.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑩   運命の12月19日

ずいぶん長い間お休みをしていて申し訳ございませんでした。 「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」も佳境に入ります。 前回(51)で、政友会など後藤の「復興」とは考え方が違い、「復旧」にとどめることを主張し、後藤の予算案を削っていきました。そこで…

54.社会参画を見据えた授業 唐木清志先生と社会貢献学習シンポジウム

新しい学習指導要領の社会科の目標は 「社会的な見方・考え方を働かせ、課題を追究したり解決したりする活動を通して、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和的で民主的な国家及び社会の形成に必要なこうみんとしての資質・能力の基礎を次のように育…

53. 2冊の本を発売されました。

今月、私が関わらせていただいた本が2冊発売になりました。 1冊目は『「資質・能力」を育成する社会科授業モデル』です。 この本は、ベーシック研究会(理事長 白石範孝先生)のシリーズとして各教科から発売されます。その中の社会科の本の担当をさせていた…

52.公開授業への参観、ありがとうございました。

2月9日10日に行われた、筑波大学附属小学校学習公開・初等教育研修会にご参加いただきありがとうございました。 また、1部4年粕谷学級の授業を参観していただいてありがとうございました。 多くの先生方に参観していただき、子供たちも喜んでいました。 9日…

51.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑨ 新平と東京市民のつながり

年表から、新平が ・幼少期に藩が賊軍となり、他家に出されたこと。 ・苦学して医師となり、公衆衛生に関心があったこと。 ・台湾や満州で街づくりを進めたこと ・海外へ留学していたこと ・降格人事を受け入れて、東京市長になったこと ・市長になって、給…

50.明日から筑波大学附属小学校の公開研究会! ~謎の先に見ある真実をつかめるか?~

明日から2日間、 2月9日(木)10日(金)と筑波大学附属小学校で 「学習公開・初等教育研修会」が行われます。 私は2日間とも、社会科の授業をします。 9日は、現在連載中の 「東京のまちづくり、今むかし」~後藤新平が曲げてでも貫いたもの~ 10日は、 「…

49.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑧ 新平の内面を探る子供たち

「復旧しただけでは再びの災害を防げない」 「人力車の時代に40mもの幅の広い道路」 「広い親水公園、鉄筋の橋」など、 当時の人が理解できないような計画を立てた新平。 いったい「どうして新平は100年後を見据えることができたのか」 それを考えていき…

48.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑦ 新平に賛成なのか、反対なのか

新平の復興計画は反対にあい、30億円以上の計画は5億円弱まで減らされてしまったことを学びました。 ここで、「どうして、反対されたのか?」という学習問題を作るのが、子供の問題意識に沿っていますし、復興計画の内容を学ぶためには、自然でよいと思いま…

47.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑥ 削減される予算案

新平が立てた復興計画は、 幹線道路の整備 道幅40m以上 隅田公園など大公園 隅田川など橋脚の整備 小学校などの建物の耐震化(鉄筋)と隣接公園 などに及び、事業費は33億円(他県を合わせると50億とも)とも言われました。 これは、当時の日本の国家予算が…

46.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その⑤ 市民にこたえるために立ち上がった新平

関東大震災の時、加藤友三郎首相の死去に伴い内閣がありませんでした。山本権兵衛が組閣を進めていたのですが9月1日には成立はしていません。無政府状態で震災が起こったのです。関東大震災前夜、後藤新平は山本首相から内務大臣としての入閣を打診されてい…

45.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その④ おばあさんの回想から、「公助」の役割に気づく

関東大震災の写真と映像を見た後、 関東大震災の時、7歳だったおばあさんのインタビュー映像を子供たちに見てもらいました。 おばあさんのインタビューは東京mxテレビの映像です。 おばあさんは、下のように話していました。(細部は違いますが、要点はあ…

44.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その③ 後藤と小池知事

震災復興を進めた後藤新平は、小池百合子都知事の所信表明でも語られていることを子供に示します。 これを読むと、子供たちは後藤したことと、播磨坂がぼんやりですがつながってきます。授業が進みにつれて、意味がかわかってくると思います。 そして、次に …

43.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その② 子供たちと「後藤新平」との出会い

播磨坂の印象を子供に聞くと ・広い ・川が流れていて(人口のものがあります)公園みたい。 ・桜が植えていある。調べたら桜の名所みたいだ。 などと述べます。それを地図で見ると、明らかに広く太いことが分かります。 そこで、播磨坂は「復興道路」である…