粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

18.問題把握の場面③ 主要人物の登場 「インタビュー記事」でつかむ

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50年ぶりに復活した海水浴場は、「ふるさと東京を考える実行委員会」と関口さんの活動によるものだと、新聞記事を読んでわかった子供たち。

今回は、単元の主要人物「関口雄三さん」とのファーストコンタクトです。

単元が進むと、関口さんにお会いするのですが、今回は私のインタビュー資料を使っての出会いとなります。

「さいち」の連載や前回も書きましたが、

資料を読むときは

①個人で大切だと思ったところに線を引く(3つなど限定してもよい)

②グループでどこに線を引いたか話し合う。

③全体で深める。その人物のことを知る。

という風になります。

では、関口さんのインタビュー記事を示します。

 

関口雄三さん インタビュー
2015.10.25 14:10 

○関口さんの子どもの頃のお話を聞かせてください。
 子どものころから、ずっと葛西に住んでいます。このあたりは半農半漁で生計を立てる家が多かったです。私の家も半農半漁の家でした。漁業は冬はノリ、春は貝の行商、貝はハマグリ、アサリでした。何と言ってもノリの栽培ですね。これで生計を立てていました。干潟が広がる海でノリも貝もよく採れました。干潟に川に堰に、べかぶねが浮かんでいる。蓮の田、水田が広がる。こういう豊かな風景が広がっていました。今は絶滅していた浅草海苔もよく採れました。
 子どもの頃はとにかく腕白で、干潟で遊んでばかりいましたよ。干潟で野球をよくしましたね。砂がびしっとしまっていて野球には絶好の場所でしたよ。もっと沖合のほうまで行けば潮干狩りがすぐにできる。川では釣りをしましたね。それから泳ぎです。船の下をもぐって反対側まで行くのが男の子の遊びです。だんだん大きな船に挑んでいく。でも、中には底で溺れてひどい目に合うものもいましたよ。干潟も油断してはいけない。遠くまで潮が引いた日には、沖合までずっと歩いていける。でも、潮が満ちてくると速いんだ。子どもの足より深くなる速度の方が速いんです。あわてて走り出す。でも中には不幸にも間に合わなくって亡くなった人もいる。
そういう豊かな自然の中で、自然の怖さも楽しさも学んでいきました。夏休みなどは本当に毎日干潟で遊んでばかり。日焼けして何度も皮がむける。もう真っ黒です。夕方まで遊んでいる。夕方干潟から帰るとき、東京湾から夕陽が差してくる。強烈な日光が背中に突き刺さる。本当は熱いはずだが、私にはあたたかく感じた。暑さの中のやさしさ。太陽の子、自然の子だと実感した。
挑戦勇気を自然の中で学ぶ。過信しない賢さ。自然は教室でした。今の都会にはそういうことを学ぶ教室がないのではありませんか。

○干潟は、どうやって変化して行ったのですか。
 中学年くらいの時でしょうか。だんだん干潟も川も汚くなっていきました。それまで、食器や衣類は川で洗っていたんですよ。それが汚れてできなくなる。注射器や薬品のビンが川に捨てられているのを見たとき、子供心にもうこの川や干潟で遊んでだめだと思いましたね。不法投棄もひどかった。ごみもね。そのうち近所で隅田川や、荒川が汚染されているといううわさが流れた。本当だと思った。だって、目が飛び出している魚、尾が2本ある魚。奇形の魚も随分見てきたから。海や川に近づけない。楽しかった干潟や川での遊びがなくなると思った。とても残念な気持ちだった。工場の水の垂れ流し、生活排水の絶え流し。汚れないわけがないんだ。ついにノリもとれなくなりました。父が漁業をできなくなったのが中学時代。もうどうしようもなかったですね。そしてついに東京に漁業権を売ることになりました。そのあと一気に埋め立てが進みました。干潟はなくなっってしまいました。町の様子も変わりましたね。もう、あの豊かな海はどこにもありません。
○どうして、海水浴場を取り戻そうと思ったんですか。
  大学を卒業して、建築事務所に入ったんです。仕事を始めたころはもう、とにかく一生懸命仕事に打ち込みました。仕事に打ち込んできてふと思ったことがあります。建物を見ると周りは全部同じ形の家と間取りです。団地とかは特にそうでしょうか。子どもの頃家で鶏の鶏舎に500羽いて私が世話をしていた。にわとりは狭いところの入れられてかわいそう。同じ顔を見ていると何も感じていないようにも見える。人の住まいが鶏小屋と重なってしまった。こんなんじゃ同じ顔の人間が生まれてくるんじゃないかって怖くなった。開発で日本は豊かになったといっているけど、本当に豊かになったのかって。毎日満員電車にいられて通勤。なんだかもう切なくなってきた。
事務所を辞めて、葛西で自分で事務所を作ったんです。生まれ育った葛西に帰ってきました。独立してふるさとに帰ると、子供のころの海の面影は全くない。埋められた干潟。アスファルトのまち。汚れた海と川。この気持ちは、言い表せないですね。
娘が結婚した。子どもはどこで遊ぶのか。私が学んだような自然から学ぶということはないのだろう。これでいいのか。豊かさってなんだろう。自然は怖いこともあるけど、私たちは自然に包まれているんです。自然と一緒に生きているんです。自然と人間は対立するものではない。「海を取り戻そう。」そう思いました。一人でもやってやるって心に決めました。

 

子供はこれを読んで、線引きました。線を引いたところは、

○火災は半農半漁だった。⇒江戸川区に住んでいるけど住宅が多いよ。

○自然の楽しさも怖さも学んだ。⇒楽しさはわかるけど、こわさって感じたことがない。

○勇気・過信しない。⇒自然の学校っていうけど、本当にそういうことが分かっているんだ。

○変な魚が見つかる。⇒悲しかったと思う。遊んできた大切なところに近寄れなくなった。

○ノリが取れない。⇒生計が立てられない。工場の垂れ流し。

○漁業権を売った。⇒本当は売りたくない。悔しさ。取り戻したい。

 

子供の感想

 ・お父さんは、漁業権を東京に売りたくなかったのに売らないといけないなんてかわいそうだと思いました。
・関口さんは、子供の頃、干潟で遊ぶのを楽しみにしていて、それをみんな(人間)が、注射器などを海に捨てて自然を請わるのが許せない。
・私は関口さんの自然を愛する気持ちがよくわかります。干潟は関口さん一家を支える命だったんだと思います。なぜなら干潟で食料などが採れていたからです。
・ごみが浮かんでいたり、魚がへんになってしまったのは、とても悲しいことです。でもその原因を作っているのは人間です。だから関口さんのような人間がきれいな海を戻さないといけないなと思いました。
・干潟がなくなった。私も干潟でいっぺん遊んでみたかった。なんだか泳ぎたくなかったのに、泳いでもいい気がしてきた。海を取り戻したい気持ちが分かってきた。
・もし今までの生活が崩れてしまったらどういう気持ちになるのだろう。それを早く聞きたい。
・関口さんが子どもの時は干潟で野球ができたけれど、中学時代に川が汚染されたから、遊べなくなった。くやしい。だから行動しているのが分かった。
・昔はまだきれいだったことがわかった。どんどん工場などができてきたなくなってしまっていた。関口さんは昔の海を取り戻すために頑張っているのだと思いました。
・どうして干潟や海を汚くした工場や人を怒らなかったのか。
・漁業権を東京に嫌だけど売ったと聞きました。とてもかわいそうです。遊んでいたところもなくなってしまったなんて。みんなが悪いけど、ひどすぎると思いました。

 

関口さんがどんな方なのか、どうして活動を始めたのか知ることができました。しかし、まだまだ、聞いてみたいこともあるようです。現在はどんな活動をしているのかもよくはわかりません。

そこで、次回は葛西に行って、関口さんとともに活動をします。

すると、子供は実感も伴って理解し、感情が揺さぶられるのでした。(次回)