粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

24.問題把握の場面⑦ 子供たちに港湾局の思いも伝えたい~過去の人に命を吹き込む取材~

黒い水事件を学習した子供たちは、開発への怒りと関口さんたち漁師の側への思いを強くしました。しかし、埋め立てをした東京都港湾局も、東京湾の発展に対する責任や市民の幸せを考えがあったと思います。

それは、21回の「中盤で揺さぶる」の回でお示ししたように、航空写真屋、数字の変化で学習しています。しかし、子供(大人も)には情意があり、どうしても「人」に接しるとそちらへの同情がぬぐいきれなくなります。

ですから、海水浴場を取り戻そうとする関口さんと同じように、東京都港湾局の立場も子供たちの情意を揺さぶるように示す必要があると考えました。

しかし、それはとても難しいことでした。なぜなら、埋め立て当時の港湾局の人は現在は一人もいません。都の職員ですので、移動もそれなりにあり、詳しい人はいないのです。それでも、都庁を訪ね、当該部局の課長に話を伺いました。課長さんは、丁寧に対応してくださいました。「書物ならいくらでも閲覧してください」ということで、関係する書物を用意してくれました。しかし、読んでいくのですがなかなか思うに任せません。調べる手掛かりがないので、しらみつぶしです。何とか当時の東京港湾局長は奥村武正さんが務めていたということは分かりましたが、それ以上はなか進みませんでした。それでも、読み進めていくと知識はついてきました。その当時の葛西の漁師の人数およそ4000人だということや保証金がどれくらいかということはわかりました。しかし、子供たちの情意を揺さぶれるようなものではありません。「何とかしたい。あきらめたくない」それから、放課後の都庁通いの日が続きました。すると発見したのです。港湾記念雑誌に寄稿された奥村さんの回想録が。それを読むと奥村さんが、黒い水事件後に漁師に嘆願されたこと。しかし、都の発展のためには埋め立ては必須であったこと。あの当時の東京湾の汚染は激しく、もはや海の汚染はいかんともしがたいとして、十分な補償金を払って、漁業権の放棄を提案したことなどが書かれていました。港湾局長としての奥村さんの決意を感じられる文章でした。「これに、当時の様子を組み合わせれば子供たちに港湾局の願いや決断が伝わるかもしれなない」そう思いました

 が、一つどうしてもほしいものが生まれました。それは、奥村さんの顔写真です。そんなものかとお思いになるかもしれません。でも、子供たちは「この人か!」と思得るのとそうでないのでは、印象・イメージが全く異なるのです。関口さんの顔は子供には強く刻まれている。なんとしても奥村さんの写真がほしい。アマゾンで奥村さんの著作が一つあることが分かり、大枚をはたいて購入しました。届いた本を祈るようにめくるのです。しかし、残念ながら写真はありませんでした。

 どうするのか。もう一度都庁です。寒い冬でした。隅からもう一度見ていきます。放課後2日使って、3日目でした。ついにあったのです。小さな奥村さんの写真が。一人で感動。すぐにデジカメで接写。

これで資料はできた。そう思って、資料を作りました。これで、子供たちに示せる資料ができた。(続く)

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