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粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

37.今年1年を振りかえると。 取材から教材配列について思いを巡らしました。

 社会科の授業を作るには、どうしても取材活動が欠かせない。全国各地にはいろいろな活動があり、取材したいことがたくさんあるのだが、移動には費用がかかるので、欲求のすべてを満たすことはできない。だから「これぞ」と思うものを選んで取材に出かける。カメラにビデオをもって意気込んで出かける。この1年間を振り返ってみると、宮城県から徳島県までいくつかの土地を訪れ、人々に触れあってきた。心に残った活動を2つ紹介しようと思う。
 一つ目は「多摩川水源森林隊」だ。文字通り多摩川上流にある水源林を管理する人々の集まりである。東京都の水源は大きく「利根川荒川水系」と「多摩川水系」の2つに分けられる。流域面積が長く汚れやすい「利根川荒川水系」の5つの浄水場にはすべて高度浄水処理という数百億円の施設が導入されて浄水力を高めている。一方で流域はほぼ東京都内に収まる「多摩川水系」の5つの浄水場には一つも導入されていない。その代わりに広大な水源林がある。山梨県にまで広がる水源林の面積は東京都の10分の1の広さである。その水源林の管理の重要な部分を担っているのが「多摩川水源森林隊」である。実は森林隊はボランティアであり、当然無給で、交通費も自腹、弁当持参で奥多摩まで駆けつけている。参加している方の中には多摩川とは関係ない利根川流域の方や千葉県の方もいる。どうして、自分の日ごろ飲んでいる水道水と関わりのない水源林ボランティアに関わるのだろうか?住んでいる地域のボランティアもあると思うのだが?と疑問に思う。
2つ目に紹介するのは、国語や社会の教科書でも紹介されたことのある「森は海の恋人」の活動である。気仙沼でカキ養殖業を営む畠山重篤さんが舞根湾の水質を改善するために背景にある森林に植樹を行った。それに共感する人々の運動だ。毎年6月の第一日曜日に開かれ今年で28回目を迎えた。震災が起きた2011年も熱心な人々の協力で絶えることなく継続できたという。昨年から取材させていただいている私も初めて参加させていただいた。集まった人々の熱気は素晴らしいものがあった。地元の漁業関係者や小学校児童など1500名を優に超える人たちが山の中に集まったのだが、その中の大半は気仙沼に関係のない人たちであり、東京からの参加者も多かった。多摩川水源森林隊と共通するのだが、どうして「自分の住んでいる地域」と直接かかわりのないボランティア活動に自腹を切って参加するのだろうか。取材を重ねるうちに「地域」という言葉の捉え方について考えさせられた。
「地域」の意味は多岐にわたるだろうが、社会科で言う「地域」は、「共有や一体性を感じられる、限られた場所・区域」ということになるだろう。これまで「地域」は、私たちの居住地がある場所を指していたと思う。そして、私たちは生まれたときから住んでいる場所への所属が課せられてきた。その中で成長もし、助けられもしてきたので、同時に地域への貢献も課せられることになっていた。祭りへの参加もそうだし、町内会の役員は数年に1度回ってくるのもそれだろう。しかし、現在は事情が異なってきたのではないか。かつては必然だった消防団青年団、居住地域への縛りが弱くなっている。これによって気が楽になったと感じることもあるだろう。都会暮らしは人間関係が楽でよいという話も聞く。
しかし、同時に所属する場所がないことに寂しさも感じるから不思議なものだ。所属欲求にかられ、自分の所属する場所、一体性を感じられる場所を求めていく。これまでの居住地に縛られていた「地域」の縛りが弱くなった分、自分で選択して、所属する「一体性のある場所」を探していく。それは、必ずしも自分の居住地に近い場所ではないのではなかろうか。それは「新しい地域」と呼べるものだろう。この「新しい地域」でも十分の社会に関わり、社会に貢献することができる。
このように考えると社会科の教材は3年生で身近な地域の学習から始まり、次第に市や県、そして国へと広がっていくという従来の絶対的な配列を少し見直していいのかもしれない。必ずしも身近が所属感や一体感を味わえるとか限らない。自分で好ましい場所を選びそこに関わり、学習する。かつてとは違い、交通も通信も発達したのだから、当然といえるのかもしれない。社会科に欠かせない取材を通して、教材配列に思いを巡られる1年間だった。

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