粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

42.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その① 関東大震災の衝撃

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4年生の「地域の発展を尽くした先人」の学習です。

後藤新平を取り上げます。

後藤新平は、関東大震災後に東京の「復興」を成し遂げた人物として、東日本大震災後に注目を浴び教材としても広く取り扱われるようになりました。100年先を見据えた復興計画は、小池都知事の所信表明でも引用されました。

現在でも新平の復興計画や事業の跡は多く残っているので、教材として適切だと思います。一方で「地域の発展に尽くした先人」の授業では、どうしてもその人物が偉人として扱われる傾向にあります。どんな人でも、評価は様々であり、苦労も葛藤もあるものですから、今回は後藤新平をしっかり人として見つめていきたいと思います。そうすることで、逆説的に、子供たちは先人への共感を生み、社会の発展に尽くす意味を理解することだ出来ると思います。

 

さて第1回目は、地域にある播磨坂から入ります。

播磨坂附属小のそばにある坂で、現在では都内有数の高級住宅地(商業地)として人気があります。それもそのはず、坂といっても数十メートルに及ぶ広さで、中央分離帯には桜が植えられ、花見の名所としても知られています。

しかし、播磨坂はわずか数百メートルでプツリと切れています。実は、戦災復興道路として作られ、計画はもっと以前の関東大震災後に立てられました。震災復興の方針は後藤新平が立て、その中の80m道路の一部なのです。新平の復興計画は予算の巨大さなどから反対にあい、その多くを断念せざる負えませんでしたが、その後に実現した珍しい例なのです。

結果として、現在の播磨坂は防災上の要点になっていますし、その景観は人々の憩いの場所になっています。新平は道幅が広いことで、地価が上がることも予想していたようですが、まさにそうなったのです。

子供たちと文京区にある坂を8つ歩き、その中に播磨坂を入れ、太さ・広さを実感させました。その実感から授業は入ります。(続く)