粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

43.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」 その② 子供たちと「後藤新平」との出会い

播磨坂の印象を子供に聞くと

・広い

・川が流れていて(人口のものがあります)公園みたい。

・桜が植えていある。調べたら桜の名所みたいだ。

などと述べます。それを地図で見ると、明らかに広く太いことが分かります。

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そこで、播磨坂は「復興道路」であることを伝えます。

子供たちは、国語辞典で「復興」の意味を調べます。わからない言葉を辞書で調べるよう、授業で積み重ねているので、進んで引ける子供が多いのです。

復興は「いったん衰えたものが、再び元の盛んな状況に返ること」という意味です。

復興は復旧と区別されて使われることが多いようです。復興は復旧に比べて「よりよく」という意味があると思いますが、ここではそこまでは押さえません。学習が進んでいくと区別する場面が出てくるからです。無理をして教えるより、子供たちが学習過程で気付いた方が価値があると思います。

さて、そこで「播磨坂は、いつ復興されてのか?」を考えます。

子供たちは、

・太平洋戦争

関東大震災

と2つを挙げます。東京を襲った災害(自然災害・戦災)といえばこの2つでしょう。

播磨坂ができたのは、太平洋戦争後です。

しかし、計画されたのは、もっと後の関東大震災後です。新平の復興計画に由来しているのです。

そこで、子供に予想が当たっていることを伝えながら播磨坂を計画したのは、

後藤新平であることを伝えます。子供たちと後藤新平の出会いです。(続く)

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