粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

56.「後藤新平が曲げてでも貫いたもの」その⑪  ~後藤新平が曲げてでも貫いたもの~

12月19日 予算決定の場面で、復興委員会が開けれるたびに予算削減されてきた新平の復興計画案は、最終場面においても政友会の反発にあい、さらに1億600万円、復興院の事務費カットを求められます。政敵である新平を政界から追放しようという狙いがあります。この削減案を新平が受け入れるべきかどうか?

このぎりぎりの場面を考えていきます。

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f:id:syakaikajugyou:20170302082959j:plain板書のように、子供たちの多くは、拒否して国会解散、総選挙をするべきという意見です。それは大きく分けて2つの意見に分けられます。

○市民のために、よりよい復興をすべき。市民のため。公人として。

○今までの自分のしてきたことを最後までやる。プライド。自分のため。私人として。

これまでの学習で、市民の立場から考えることに加えて、新平自身の立場になって考えた意見も多くなっています。個人の立場になって考えることも判断の場面では重要で、より実際に即した判断といえると思います。新平の身になっていることがよくわかります。

 意見を出し合った後、実際の新平はどうしたのか。資料を配ります。

裏にして配布し、全員で見る資料です。衝撃の内容がすぐにつかめるように、分量を少なくします。これは、授業の最後に配布するじっくり読む資料(次回に掲載)と差別化を図っています。

私は①驚きをみんなで共有したい場合は文字の少ない資料 ②じっくり考えていきたい場面は文字が多い資料 と作り分けています。①の場合は文字資料ですが映像資料のように、一見して読み取れる分量にする工夫をしています。

その資料は以下のようです。

1923年12月19日深夜。
後藤新平は山本首相を訪れて話し合った。翌朝の閣議において、政友会修正案を受け入れると決定した。
山本首相は摂政宮殿下(のちの昭和天皇)に拝謁し、政局に関して言上して退出した。その後、政府は国民に声明を出し、修正案を受け入れたことを世間に知らしめた。

 内閣は、12月29日総辞職した。

この後、後藤が政界に復帰することは
二度となかった。

これを読むと(見ると)子供たちは衝撃を受けます。

・なんか、つらい。後藤は市民のことを考えていたのに、政治のことしか考えていない政友会に負けて、去ってしまうなんて。

・最後まで復興計画を貫いてほしかった。がっかりした。

などの意見が出てきます。子供たちはは思い思いに自分の感想を述べていきます。

しんみりとしています。

後藤新平は彼の信念である復興計画をどうして貫かなかったのでしょうか?

新平の考えの本質に迫っていきます

それは次回に・・・・。