粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

63.東京で唯一の村、檜原村~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑤

さて、第三セクタースーパー「かあべえ」をあとにした私は、

北谷の郷土資料館へ向かいました。

郷土資料館に行けばそのまま教材になるというようなものはありませんが、その土地の歴史、地理、文化を知るうえで欠かせない場所です。

郷土資料館にいくと、学芸員さに丁寧に対応していただき、中を見ることにしました。年末なのでお客は私しかいません。

さて、郷土資料館で目に付いたのは、やはり林業です。林業に関わる道具と歴史が展示されていました。

また、目に留まったのは、昔の写真です。昭和の40年くらいまでの写真を見ると、人々の様子から山村での楽しく幸せな生活を感じ取ることができました。年を取ってきたせいなのか、どこの土地に行っても昔の風景の写真と、そこに移る人々の生業が懐かしくもあり、豊かにも感じられます。

自動車が普及し、道路路も整備されたので、時間的距離はぐっと短縮されました。私が今日、板橋の家から檜原村に来るのだって、わずか1時間余りのことでした。これが中央自動車道路を通らずに来たりだとか、自動車を使わず電車とバスできたりだとかしたら、数倍の時間がかかったことでしょう。そういう時間的距離の短縮が、人々の生活圏を広げ、物流を可能にしていったことが、村落の衰退に大きな関係があります。

村落と村落は、時間的距離の長大さから、今よりずっと緩やかにつながり、それぞれの独自性を生んでいたのです。人の移動も今よりずっと少なかったと思います。村は村の決まりやおきてがあり、今のように「グローバル」とは無縁だったんだと思います。

現在ではあっという間に移動できることから、少し人口のいるところなら企業が進出し、バイパス沿いにイ○ンとホームセンターとスタバと・・・のようにどこでも同じような風景が広がっています。

檜原はというと、人口が少なかったこともあるでしょうし、以前書いたように都心につながる主要道路は1本しかない山道であることから、開発はさせていません。林業の衰退とともに、産業がなくなり人口は半減したものの、見方を変えれば、都心からわずか1時間余りで、手つかずの自然と風景が残っているといえるのかもしれません。

 

そんなことを考えながら、郷土資料館を見ていました。

学芸員の方に「今、皆さんはどのように収入を得ているんですか?」質問をすると

林業が衰えてからは、主な産業がなく、公務員か公共事業に従事する人が多いでしょうか。あとは、村外に働きに出る人が多いです」ということでした。

なかなか、難しい取材になってきました。(続く)

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アユはすごく好きです。今年は食べていないから、早く食べたいなあ。

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