粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

76.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑱

戸田さんにお茶づくりを教えた清水ひろ子さんと清水みさおさんにお話を伺えることになりました。

お話を伺っている途中で戸田さんも片づけを済ませていらっしゃった。

その時の清水ひろ子さんの雰囲気が変わりました

なんというか、ほぐれたというか、明るくなったというか・・・。

ひろ子さんは戸田さんを認めているというか、とにかく好意を持っているというかそういうことが、ひしひしと伝わってきます。

ふたりの信頼関係に強さを感じました。

 

清水ひろ子さん・清水みさおさんのお話

昭和8年生まれです。こどものころから、ずっとお茶摘みなんかを手伝ってきました。お茶は檜原では各家庭で作っていました。ふかして、かわかして、手でよって。売るためじゃなくて、家庭で飲むためです。茶摘みは5月の終わりからかな。ジャガイモ堀もそのころ。お茶を摘まなくなったのは東京五輪のころかな。2件を残して摘まなくなってしまいました。お茶畑は荒れてしまいました。でも、お茶は生命力が強いから、切ればすぐにいい新芽が出ます。生命力が強いものをいただくから、体に良いんです。

 檜原のお茶畑がすっかり荒れてしまった今から20年位前、隣に戸田さんが引っ越してきたんです。戸田さんの家の隣に藪があって、イノシシやアナグマが出るから、戸田さんが頑張って木を切ったのね。そうしたら、そこにお茶の木があって、すごくいい新芽が出ました。だから、せっかくだから摘んでみないと声をかけたの。そうしたら戸田さんはやるって言ってくれて、一緒に茶摘みをしました。1年目は20キロそれを五日市までもっていってお茶にしてもらってきた。2年目は25キロ。3年目に紅茶にしだしたのかな。久しぶりにお茶摘みをしました。

 戸田さんは、わずかに稼いだお金を私たちにくれました。年寄りにお金をって驚いた。お茶摘みしかできないと思っていたけど、「お茶摘みができるなんてすごいです」って言ってくれた。うれしかったです。朝おきると、戸田さんは畑で仕事をしています。少しでもみんなのためにって働いています。本当はゆっくりしようと思って檜原に来たんだろうけど、檜原のばあさんたちにお金を取らせる方法をいつも考えてくれています。大変な努力家です。いい人が入ってきた。

 檜原にずっと住んでいると、檜原の良さが分からないんです。私は若い時は、檜原が不便だとずっと思っていました。だから、林業やこんにゃくをやめて、檜原を出て会社勤めをしました。畑をしなくなりました。でも、戸田さんがやってきて、人間は、アスファルトの上じゃなくて、木や草の生えるところがいい。花の咲くところがいいって。だから、檜原にきたんだって。もう一度お茶を摘むとは夢にも思わなかったです。

 私は戸田さんにいろいろ教えてあげるのが楽しいです。年寄りで病気もあるけど、好きなことだと痛くないのね。もう一度手伝わせてっていう気持ちで毎年やっています。南郷地区は9件の新しい人が増えました。教えてあげる喜びがあります。ありがとうって言ってもらえます。人付き合いなのかしらね。

 今は、もう一度、南郷の味を残せたらいいと思っています。戸田さんは、漆のこととか、お茶のみの油とか。いろいろ昔のことをもう一度やろうとしています。すごい人です。

 

滝祭り実行委員会の高木さんやMTBのジンケンさんのお話でもありましたが、

むかしから地域に住んでいる人は、その地域の良さになかなか気づかないもの。

その地域にしかない良さをに気づく「よそもの」と

それを受け入れる「じもともの」の輪が、地域に一つのアクションを生むようです。

言葉でいうのは簡単ですがとでも難しいことです。

 

「よそもの」と「じもともの」。

しかし、私は「ひのはら紅茶」の完成には、清水さんたちをひきつけたのは、戸田さんの人柄や行動力が大きいと感じています。清水さんたちは、ずっとそこにいてお茶もずっとそこにあったのです。南郷の里やひのはらにだって、これまでたくさんの「よそもの」が訪れてきたはずです。しかし、だれも「ひのはら紅茶」まで行くことはできなかった。

それを偶然見つけたにしても、、南郷の皆さんをいつの間にか行動に移させてしまう戸田さんの人柄と行動力。

すごい力だなぁ。としみじみと思いました。

 

(戸田さんと清水ひろ子さん。みさおさんは写真が苦手だということでして・・・)

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