粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

77.気づいたら77回も書いていたのか。77回記念。

この連載は~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ですが、

今教室では、5年生の食料生産について、福島の浜通りで農業を営む三浦さんを教材にして学習しています。

 

今でも、2011年3月11日の東日本大震災と翌日の福島第一原子力発電所の水素爆発以降の緊迫した東日本の緊迫した空気感は忘れられません。

私は仕事から帰ってくると、テレビとインターネットで情報を集めることに必死でしたし、あまり知識のなかった放射線の情報を調べていくほどにその恐ろしさと、まき散らされてしまったが最後、もう取り返すことができない難しさに、大変なことになったと強く認識させられました。自衛隊が燃料プールに水を入れようと接近して散布しても、どれほどの水が入ったのか。先進国、管理が行き届いている、絶対安全、だと言われてきたのに、打てる手はこれだけなのかと・・・。また、東京都消防庁の方が大量被ばくの危険の中放水した後の涙の会見に胸が詰まりました。

この震災(主として原発事故)を境に、日本は大きく変わってしまったのだと強く認識させられました。

千葉に住んでいた私は直接的な被害はありませんでしたが、ガソリン不足や計画停電、品物の不足など影響がありました。また、知人には県の北西部の放射線ホットスポット、飲料水問題など影響があり、その苦悩を伺いました。その中で可能な限り正確な情報を集めようとしましたし、それをもとにできるだけよい判断しようともしましたが、うまく割り切れない気持ちがあることにも気づきました。

この震災で私は、生きていくために、人が判断していくのは実に難しいと思いました。万全の状況やこちらの望む環境などなかなかないもので、厳しい現状の中でどうよりよい道を探っていくのか。悩みながらも進んで行くのかを、身をもって経験したように思います。私くらい震災から遠くにいる立場の者でもそうですから、被災地の方の経験値は巨大なのだと思います。

わたしは、わずか5度しか被災地を回ったことがありません。ですから、何もわかっていないと思います。しかし、その時、被災地でであった人々とお話をするたびに、厳しい状況の中で、自分ができることを精いっぱい講堂に逸すことの大切さを学びました。取材を始めて3年が経過する気仙沼のカキ養殖の達人、畠山重篤さんやその息子さんで「森は海の恋人」を進めている畠山信さん、そして、今教室で学習している三浦広志さん。

どなたも、いつも笑顔で前向きでいらっしゃる。厳しさは私の数千倍数万倍だろうに、笑顔とエネルギーがかなわない。

それはきっと、現状を直視して人のせいにせず、これまでの巨大な経験(プロとしての仕事)を生かして考え、その先の希望を見出しているからだと思います。そして、進む道を決めている。もちろん不安や強がりなども含みながらです。

私は、社会科の授業で、悩みながらも前進する皆さんを取り上げ、その活動や考えを追体験して学習していけたらと思います。これまでの「さいち」の佐藤さんも、東京湾の関口さんも、水源林の花岡さんも、人形焼の藤井さんも、後藤新平も、そして戸田さんもそうでした。

子供たちとともに、社会の問題とそれに立ち向かう人々を学び、私も子供たちも、自分に生かしていくいけることを希望しながら、授業を続けていきたいと思います。

 

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