粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

79.東京都で唯一の村、檜原村 ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~ その⑳ 最終回

戸田さんの案内が終わると、もうあたりは暗くなり始めていました。

「この辺りは、谷間の道から登ってきたところで、空が開けているの。

夜は星がきれいに見えて、とても良いところです。またいらっしゃってください」と戸田さん。

 

この日は天気が悪かったので、星が見えそうにありませんが、確かに山間部としては空は開けていて住み心地がよさそうです。

 

私は、23歳から28歳まで山梨県大月市で生活していました。初任のころ、社会人としても教員としても右も左もわからない私はそこでとてもお世話になりました。あたたかい保護者や先輩の先生方のおかげで、なんとか今日まで教員を続けています。いまでもよく思い出せる出来事がたくさんです。大月は桂川に沿った河岸段丘の上部に位置する町です。夏に家庭科室で焼きそばを作って、トウモロコシをゆでて、それを担いでいって谷を降りて行ってみんなで食べてたのしかったなぁ。誰かのビーサンが流されて追いかけていったけど、追いつかなかった。

谷間の町大月は、山が迫り空が狭かったことが強く心に残っています。夜明けが遅く、日の入りも早いのです。渓谷には渓谷の良さがありますが、広く開けた空になれている人は気持ちが堪えるようです。大月にいたときも、九州の宮崎から転勤されてきた方は「空が狭くて・・・」とおっしゃっていましたが、その気持ちはよくわかる気がします。ですから、南郷の里は檜原という渓谷にありながらも、空が広くて特別な景観だなあと実感できるのです。

 

さて、これで ~「檜原雅子」になった戸田雅子さん~の取材のすべてが終了しました。二転三転して、最後までたどり着いた形です。なかなかスリルがありました。

 

檜原村に実際に赴き、「過疎を取り上げよう」と決めてから、『地方消滅』「地域おこし協力隊」「ひのはら紅茶」「戸田雅子さん」「払沢の祭り」「清水ひろこさんとみさおさん」とネットサーフィン(死語かな)のように実際の取材をつなげていきました。ネットなら数時間あれば調べることができますが、実際に動くとなると2か月でした。

特に今回は、取材当初にこれだ!という教材を持ち合わせていなかったので、右往左往しましたが、逆に戸田さんをはじめ、生き生きとした檜原村の人々と活動にであることができました。それが授業でも生きていたと思います。

 

子供たちも「檜原雅子」という名前に驚き、畑にポツンと生えるお茶の木に驚き、檜原村の過疎の厳しさと生き生きと生きる人々に共感できたと思います。

後日子どもの中には、檜原村に行ったという児童が数名いました。中には戸田さんにあったという子供もいました。それは払沢の滝に行く途中にある「木工房 森のささやき」のご主人と会話をしていたら戸田さんに連絡を取ってくださり、南郷まで行くことになったそう。なんか私の取材と似ていますね。予定は大幅に崩れたそうですが、そういう旅も一興でしょう。日記に書いてきてくれてうれしくなりました。

 

授業は終えましたが、総合的な学習の時間を使って「ひのはら紅茶」をアピールできないかと考えています。もう少し檜原村の学習は続きそうですが、一度筆大きたいと思います。(おしまい)

 

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