粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

84.公開が終わりました。 参観ありがとうございました。

17日(土)は筑波大学附小学校の2日目でした。

この日は私が授業をしました。

多くの方に参観いただきましたことに感謝いたします。

授業は、子供たちがとてもよく頑張ってくれました。

風評被害」と日本の農業のこれからを考える難しい問題でしたが、

子供たちは、「安全」と分かっていても(安全を受け入れることのできないという場合もあります)買うことができない、人間の心理・心情の難しさを学べたのではないかと思います。

 

授業中ある児童が、安全にもかかわらず買うことができないのは「それが、風評加害者になっているんだ」と発言しました。彼は「食べるべき」という立場なので、安全なのに食べないという選択について、改めたほうがよいと考えているのでしょう。よく考えている発言でした。

28年度の福島産のコメは、11000000袋中、基準値の100ベクレル越えはもちろん0袋(3年連続)見つかったのは、25ベクレル以下が51袋です。それらも検出されていることが明記されていることや、廃棄されていることを考えると、安全だと言えるでしょう。51袋以外の1000万袋余りは、放射線が0なのです。それは事実です。

それでも、「食べない」という立場にたつ児童は、「福島のコメは安全ではない」と発言します。福島のコメは「安全ではないという根拠」は示されていません。

そこで、「福島のコメは安全ではないの?」聞くと、

ほとんどの児童が、安全だと手を挙げます。ここは確認したいところでした。

 

「全袋検査されていても信用できない」という発言や、「三浦さんは信用できるけど、そのほかの人は信用できない」という意見も出てきます。なるほど、この発言なら納得できますね。「安全だけど、不安だ」という意味ですから「安全ではない」とする先ほどの意見とは性質が異なります。

すると児童が「安全だけど、信頼がないということなんだ」「顔が見えれば信頼できる」などと言います。よく考えていますね。

私は「安全」と「安心」が違うことに気づいてほしかったのです。実際の授業では「安心」が「信頼」に変わって授業は進みましたが、子供たちの側からこのことに気づけたのは、成果だったと思います。

この「安全」という事実と「安心」という心情が、イコールではないところが風評被害の難しいところです。

 

風評被害」は過度の放射線への意識が「安全」すらゆがめて受け止めてしまうことが原因だと思います。それにはいくつかの原因があると思いますが、その一つに原発事故直後の、情報の操作や出し惜しみ、対応の遅れなどの不透明さが、今になっても「本当か?」と疑問を持たせてしまうことの原因になっているのだと思います。それは、豊洲もそうですね。隠すことによって不信が生まれてしまう。

 

子供たちは学習を通して、福島のおコメ作りをする人々の取り組みの一端と、福島のおコメの安全性を学びました。そして、安全でも心配になってしまう風評被害の難しさにも気づくことができました。子供たちには、自分でよく調べ、時には体験をし、社会の一員としてより良い判断をしてほしいと思います。

ただ、良く調べ、判断した結果は人それぞれです。同じになるわけではありません。多様性は認め合うべきだと思います。食べるべきという人は放射能は0だという安全を示します。逆に食べないという人は、安心できないということを言います。どちらもそれは、一人一人が下した大切な判断です。同じ事実現象でも、判断は異なるのが社会の面白くも難しいところです。答えが一つにはならない、社会科ならではですね。

(福島の農家の皆様にとっては、安全なのに買ってもらえないということはとてもつらいことだと思います。その点については胸が痛みますが・・・。)

 

しかし、現実には福島のコメがもう少し買われるようになっていかなければ、福島の農農業の復興は厳しくなります。また、長引けばただでさえ、帰宅解除となってもお年寄りしか戻らない被災地の将来がどうなるのかも心配です。将来に展望が持てなければあとづぎは生まれず、福島の浜通りは農業が衰退し、人も減少していってしまいます。

福島の浜通り原発によって日本の過疎と農業問題が顕在化したという人もいますが、その意見には納得させられます。

 

では、子供たちもどうしたらいいのか?悩みます。三浦さんたち福島の農家はこのままでは・・・。

しかし、私が「三浦さん。福島のコメは全袋検査をして安全なのに、なかなか売れず、価格も全国平均を大きく下回っています。風評被害が深刻で困りますね。」

という質問に、三浦さんは

「ふるさとの南相馬の小高から相馬に移って、震災の翌年2012年から米を作り続けています。しかし、買ってくれる人はほとんどいない。

困っていますけど、でもね、先生・・・

 

福島のコメは安全です。胸を張っていえる。

でも、食べてくれなくていいんですよ

とコメントしたことには驚きました。

 

私は思わず「どうしてですか?」と聞きかえした。

授業でも、その場面で、子供たちもどうしてそんなことを言うのか驚いた様子でした。

子供たちの予想は以下のようでした。

 

・三浦さんの最後の一言には衝撃を受けた。どうしてそういったのだろう。無理に買ってほしくないから?努力が水の泡になってもいいのだろうか。お父さんもなくし、震災にもあって、その苦労の中でやっと借りて作ったコメを。もっと頑張ってみんなに買ってもらえるようなおコメにしたいと思うけど、三浦さんは「食べてくれなくてもいいんです」と後ろ向きな発言をした。どうしてだろう。

 

・「食べてくれくなくていいんです」というのは無理に食べてもらいたくないということだと思う。ふつうにスーパーの新潟米のように買うように、自然に買ってほしいのだと思う。私だったら、進んで食べてもらうようにするのだろうが。三浦さんはおいしく食べてもらいたいという願いを込めて作っているはずだ。だから、かわいそうという意図ではなく、おいしそうと言いう他のコメを買うときと同じように買ってもらいたいはずだ。

 

・私は食べてくれなくていいと聞いたとき、とても驚いた。私だったら、一生懸命作ったコメを食べてもらいたいと思う。でも三浦さんは違った。三浦さんは作ったおコメを安全でおいしく笑顔で食べてもらいたいのだと思う。復興のために買う、安いから買うなどの無理やり買うのではなく、福島のコメはおいしい、安全だから買うと思って買ってほしいのだと思う。だから、福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくても結構ですと言えるのだと思う。

 

・○○さんが明べている部分もあるんだと思うといっていた。それもあると思う。でも、三浦さんが食べてくれなくて、いいんですよ」と言っていた1番の理由は無理やりじゃなく、おいしいものを食べてもらいたいから。でも、福島という悪いイメージがたくさんあるから、おいしく食べてくれる人なんていないと思ったから、あんなことを言ったのだと思う。

 

・きょうみうらさんが「食べてくれなくて結構です」といった時僕は心の中で「えっ」と思った。なぜなら今まで天地がえしをして頑張ってきたのに、食べてくれなくていいなんて変だと思ったからだ。ダダすぐに意味が分かった。それは無理をして多弁なくてもおいしくないと思うからだ。三浦さんは「おいしいおコメを食べてもらう」という目標を達成したいのだと思う。

 

・僕も誰かがいたように、無理やり食べてくれなくてもいいのだと思う。みんなが安全だと分かってから食べてくれる方がうれしいのだと思う。町の人も進んで食べる人が少ないのだから三浦さんは悲しいけど。三浦さんは信頼が薄いのが分かっているのかな。

 

 

三浦さんの真意については、次の授業でじっくり考えていくことにします。

 

 

授業後も多くの先生方に検討会に残っていただきました。

感謝申し上げます。

子供たちは自分の意見をしっかり言うことができていたと思います。

福島のおコメの学習は、三浦さんの言葉について学んだあと、

実際に福島のアンテナショップを訪ねて、購入体験をしようか子供と話し合って決めようと思います。小学生の段階で、社会との接点をもって学習し行動できたらと思います。唐木先生にそのことをお話したら、ちょうど良い活動だと思う。とおっしゃっていました。できたらなあと思いますが、子供たちはどうするか、決断は任せたいと思います。

 

次の研究授業は、7月29日(土)の小学校社会科授業づくり研究会です。題材は

「畠山さん」と「森は海の恋人」そして「あの震災」

です。子供たちの成長に従い、参観してくださる先生も増えてきました。次の授業では、さらに子供たちの良い姿が見られるよう、日々の指導を積み重ねていこうと思います。そして、1部5年の目の前の子供たちのよりよい学びを形成していきたいと思います。

さらに気持ちが入ってきました。がんばるぞ。

f:id:syakaikajugyou:20170619145043j:plain

f:id:syakaikajugyou:20170619145111j:plain