粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

99.「福島のおコメは安全です。胸を張って言えるけど、食べてくれなくてもいいんです」 その⑫

どうして三浦さんは「食べなくても結構です」といったのか?

風評被害で困っているはずの三浦さんは、どうして「食べなくても結構です」といったのか?そのことを話し合っていきます。

 

 

f:id:syakaikajugyou:20170707074306j:plain

子供たちの予想では、

 

・あきらめたのではないと思う。

・安全だけど、100%安心して買ってもらいたいんじゃないか。

・無理して買ってほしくない。

・買わない人の気持ちも考えている。安心がないと買ってくれない。

・そうそう、安心には時間がかかるってわかっているからじゃないか。

・新潟のおコメと比べて、復興とかじゃなくて、味とかで勝負して買ってもらいたいんじゃないか。

 

という予想。三浦さんは「安心」して買ってほしい。おいしいと思って買ってほしい。と思っているんじゃないかという話になりました。

 

そこで、資料を提示します。

 

資料

○福島の「天のつぶ」は全袋検査をして安全なのに、なかなか売れず、価格も全国平均を大きく下回っています。風評被害が深刻で困りますね。

 

ふるさとの南相馬の小高から相馬に移って、震災の翌年2012年から米を作り続けています。しかし、買ってくれる人はほとんどいない。困っていますけど、

「福島のコメは安全です。

でも、食べてくれなくていいんですよ」

 

やけくそになっているわけではありません。安全な米を作ろうと心がけています。全袋検査を必ずしています。私の直売所「野馬土」には測定器があって全袋検査しています。野菜もです。もし、少しでも出ていたら、その測定値を商品に貼っています。確実に安全です。

田んぼは、表面のセシウムを耕して、下の土とかくはんしていきます。地面をひっくり返していくことを天地返しと言います。すると、セシウムの量はぐっと減ります。それを繰り返して、年月が経っていくと、セシウムが表面から20センチとか深いところに沈んでいき、表面は安全になります。大体20年で放射線は影響がなくなります。ですから、地道に天地返しをやっていけば安全な土の戻るということです。成果は確実に表れて、2016年には福島産のコメで、国の基準の100ベクレルどころか、25ベクレル以上の放射能は1つも見つかっていません。1000万袋以上も作っていて0です。安全といってよいのではありませんか?

 

私自身、原発事故の直後は福島のおコメを食べることができませんでした。2012年に取れたコメの放射線量を測ったら、国の基準100ベクレルはクリアしていましたが、30ベクレルを越えていたので、まだ安全とは思えませんでした。2013年は10ベクレルを下回る数字になってこれなら大丈夫だと思って私も食べました。実は、北海道に続いて放射線量が低いのは福島だったりするのです。福島の倍くらいの線量のところもたくさんありますので、福島のコメだけが危険だという風にはならないでしょう。私の場合、実際に線量を図っていて安全だと言い切れるのですが、「福島のコメだけは買わない」というのが皆さんの考えでしょうね。その気持ちもわかります。事実を知らないということです。結局は自分の目で見ていないのです。

それに、例え「0ですよ。安全ですよ」と保障しても、判断するのは一人一人の人の心です。福島のコメは確実に「安全」なのです。それを信じられるかどうかは「安心」の問題です。「安全」と「安心」は違うのです。

 

私たちにできることは、公表した結果で安心してもらえるようになるまで、測り続けることです。そして、できる限り少ない放射線量を求め続けて栽培していくことです。

福島のコメを食べようと思ってくれるまで、すごく時間がかかると思います。広島が原爆の被害を受けて、危険な場所と言われてから、現在の平和の都市のようになるくらいの時間が必要なのかもしれません。「安心」や「平和」、人の心に関わるものは時間がかかるものかもしれませんね。

 

○買ってくれなくて、困ったり、悩んだりしませんか?

私は買ってくれない人が悪いとは思いません。私も放射能が怖くて東京に避難したから、食べない人と気持ちが分かります。売れればラッキーですよ。震災前から私は自分の作るコメのうまさには自信がありました。震災前、私が作る無農薬のこだわりのおコメを買ってくれたお客さんは健康への意識が高い人です。健康への意識が高いからこそ震災後は、逆に買ってくれません。当然でしょう。でも、急ぎません。食べるか食べないかは、お米を食べる方が判断することです。福島の環境が安全だってわかれば、買ってくれるようになります。だから、それまで努力することが大切です。その努力を消費者が見ているんだと思います。福島の悲惨な現状を見て「どうして買わないんだ」とおこってくれる人もいると聞きます。ありがたいことです。でもまだ6年ですよ。まだまだ時間はかかります。どれくらいの時間がかかるかわからないけど、その間のくらしも米作りも楽しくやっていきたいです。「福島いいですよ。最高の環境です」

 

○そうはいっても売れなければ、日々の生活に困りませんか?

私の住んでいた南相馬の小高で農業ができるようになるのは、地道な作業を何十年とやり続けていくしかありません。それまで、無収入かというとそうではありません。それは、農地に太陽光発電施設を作って発電しているからです

私たち市民が望み、福島県は「再生可能エネルギーさきがけの地 福島」を浪江をはじめ、浜通り地区で実現しようと試みています。市民や地元の企業が中心になって、必ず原発20キロ圏内の浪江も南相馬も復興させようと思います。先祖代々の農地見捨てるのではなく、20年後30年後復活できるように、農地の上に太陽光パネルを設置し太陽光発電で収入を得ています。そして、放射線が弱まったら、再び農業ができるようにするという試みです。今80歳の方が、孫のために田の一部を太陽光発電にしています。そして、除染されて、栄養分のある表土をはがされて、養分0の田に、菜の花を植えました。その年の背丈は10センチほどしかありませんでした。生命力のある菜の花でも土がだめなら育たない。しかし、今年は20センチくらいになったかな。菜の花を田んぼに漉き込むことで栄養が増えていく。それを繰り返し、放射線も少なくしていく。20年後の農業の再開を目指しています。

被災したからと言って、落ち込んでいませんよ。津波原発でやられた私たちのふるさとは、太陽光発電風力発電と綿の栽培をして、トレーラーハウスを置いて、再生エネルギーの中心地にしたい。多くに人が憩える場所にしたい。ちょっと気取った話だけど、26歳の時に「日本の農業は俺が救う」と勝手に決めたんです。だから、必ずしも自分がもうからなくてもよいと考えています。農家がみんな生活できて、日本の農業が健全ならばいいと思う。今は健全ではないけどね。健全にしますよ(笑)

 

○元気ですね。私の方が勇気づけられます。

ははは。 「被災者らしくなくって、すみません。」ってたくさんの方に言うんですよ。みんなずっこけます。

 

三浦さんのインタビュー記事を読み、三浦さん自身が原発事故直後に東京まで非難したことなどから、放射能のおそれが根強いことを十分理解してる様子でした。そのため、安全が確保された福島のおコメでも、安心して買ってもらえるようになるにはかなりの時間がかかると承知しているようです。それは原爆投下の町広島が、平和の町広島になるのと同じくらい時間がかかるのではないかとコメントしています。

それまでの間、三浦さんは、南相馬のご自分の田んぼの上に太陽光パネルを設置して収入を得ています。20年、30年後に放射能の影響がなくなったら、その時点で農業の再開を目指しているそうです。そして、太陽光と風力など自然エネルギーの拠点としたいと語っていました。

 

 子供たちの予想は当たっている部分もかなりありました。しかし、太陽光まではさすがに予想できず、その前向き具合に驚いていました。子供たちは、三浦さんから勇気と希望を感じていたようです。

 

感想

東日本大震災はとても過酷だ。放射能が散らばって、家は崩れてなくてもすめない人がたくさんいた。人間が浴びていい放射能の量を上回る地域もまだある。震災で大切なものをなくした来るさみと悲しみは一生忘れられないことだろう。それなのに、努力して今では少し実だけど米作りを再開している。本当に素晴らしいことだ。このまま続けて努力をしていけば、20年後、30年後は再生可能エネルギーの町になっているだろう。原発は東京のせいだからできることはやりたいと思う。安全・安心の福島を買いたい。少しでも福島に協力したい。

 

東日本大震災を体験した三浦さんだからこそ「買ってくれなくていいんです」なんて言えるんだと思う。三浦さんがそういう風に言えるのは、みんなが買わない理由をちゃんとわかっているからだと思う。でも私がその立場だとしたら絶対に言えないから、三浦さんはとても優しい性格なんだと思う。

 

・三浦さんは被災者らしくなくてすごいと思いました。食べてくれなくていいですというのは意外でしたが、太陽光発電もすごいと思いました。安全な米だから買ってもいいと思います。町の人も買った方がいいと思う。買わないのは風評被害でした。三浦さんはそれに耐えている。福島が再生可能エネルギーの町に早くなるといいです。

 

・つらい思いをしたはずの三浦さんの明るさに驚いた。私が三浦さんの作るおコメだったら、牛のえさになっても愛情を人一倍注いでもらっているのでうれしいのではないか。これからもあきらめずに進み、いつか安心して食べられるおコメ「天のつぶ」になってほしい。

 

・三浦さんはすごい。父をなくしたり、自分の故郷の福島が原発で汚染されてしまった三浦さんはいつも笑顔であきらめず、福島のコメがみんなに信頼されるまで努力そしている。今まで、学習した人物で例えると三浦さんは後藤新平だ。あきらめず、みんなのことをいつも考えている。元気な三浦さんはすごい。

 

・今日の授業は三浦さんのあきらめない気持ちから「食べなくて結構です」と言っているのだと思った。広島の原爆被害がそうであるように、福島のイメージが改善されるまで時間がかかると思います。でも、三浦さんは、今でも太陽光パネルで電気を起こして収入を得ようとしたり、米作りも変わらず愛情を持って取り組んでいます。だから、あきらめたのではなく、福島のおコメを心からおいしいと思ったり、復興支援のためだったりじゃなくて、新潟米などと同じ立場のコメとして食べてくれるようになってほしいと思っているのではないか。

 

・私は三浦さんの強さに感激しました。震災で父の田がやられてしまったのに、「被災者らしくなくてすみません。」と笑っているのです。たとえ、米をしばらく買ってもらえなくていいとしても、全然売れなくて悲しいはずです。私は福島のおコメを食べたいです。食べたことがないからです。だから、お手伝いを頑張って買いに行きます

 

この「お手伝い」については、総合的な学習の時間に取り組むことになった学習です。それは次回に。