粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

118.「畠山さんと森は海の恋人」そして「あの震災」 その④ 東日本大震災

「森は海の恋人」植樹祭が軌道に乗り、赤潮も解消されていきました。

畠山さんの生産する牡蠣は味がよいと評判になり、舞根にも活気が戻って来たそうです。

このころ、筑波大学附属小学校の田中力先生が畠山さんの取り組みに注目したそうです。

3年前私が畠山さんにお会いすると、「筑波大学附属小学校かぁ。懐かしいな。私はあなたの学校へ牡蠣をもっていったことがあるよ」とお話ししてくださいました。

私はそのことを知らなかったのでびっくりしました。お話を伺うと、田中力先生が総合的な学習の時間の公開研究会で畠山さんをゲストティーチャーとして迎えられて授業をなさったということでした。

畠山さんの著書にも記されていますが、このことがきっかけとなり、教科書で取り上げられて、全国から教員が視察に訪れるようになっということでした。

 

そのことを全く知らなかったので、驚くとともに、こうやって筑波の教員が再び舞根

を訪れるのも何かの縁だなと思いました。田中力先生が、森と海の関係性に注目なさって、新しい漁業の視点を示したように、

私は、森と海と人というつながりに注目して「森は海の恋人」の価値を見つめなおしたいと思っています。

 

さて、少し前置きが長くなりました。

 

順調に養殖を営んでいた2011年3月11日。

東日本大震災が起きます。

三陸沖が壊滅的な被害を受けましたが、舞根も例外ではありません。

畠山重篤さんは、そのとき、自宅にいらっしゃったそうです。

畠山さんの自宅は、海面から20mほどの高台に位置しています。

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右の中腹に屋根が見えますか?そこです。

大きな揺れの後、重篤さんはすぐに「津波が来る」と思ったそうです。

高台の自宅から海を見ていると、だんだんと海水が引いていく。チリ地震津波の時もそうだったそうです。

しかし、今回の海水の引き具合はチリ地震津波の時よりももっと沖まで引いている。「これは大きな津波が来るぞ」

その時、三男の信さんは「船を沖に持って行った方がいいんじゃないか?」と提案したそうです。すると長男の哲さんが「じゃあ、お前言ってくれるか?」と返したので、信さんは「行くしかないな」と腹を決めて沖に出ていったそうです。

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その時の写真が上です。

このときはまさか1000年に一度の津波が来るとは思っていなかったそうです。

沖に向けて出港したその時、

舞根湾に壁のような津波が迫ってきました。

信さんは、「これではだめだ」と思い、思い切って、船を捨てて海に飛び込んだそうです。もちろん津波に飲まれていきます。

津波の海に飛び込むなんて・・・。考えただけでも恐ろしいし、想像もつかないことをです。

 

 

そのころ重篤さんは、想像を超える津波の高さに「高台の自宅も飲み込まれるかもしれない」と山の上へと家族とともに登っていったそうです。

決断すると、ものすごい音を立てて津波が迫ってきた。

眼下では、養殖施設がすべて飲み込まれていったそうです。

10人の家族は全員無事だったそうです。

 

波が引いても余震は続いている。山を降りていくと幸い、自宅にはかろうじて津波が届いていなかったそうです。次第に、「畠山さんのうちは高台にあるから」と舞根の人たちが避難してきたそうです。しばらくの間、地域の人と避難生活をしていたそうです。

 

そのころ、海の飛び込んだ信さんは、何とか大島まで泳ぎ切り、命を取り留めたそうです。大島では火災が発生していて島民に交じって消火活動をしていたそうです。

そして、2日後に自衛隊が到着し、ヘリに乗せてもらい、舞根に戻ったそうです。

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その時の写真

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なんとか舞根に帰った信さん

家族は喜びわきますが、

悲しい知らせが待っていました。

それは重篤さんの母、信さんの祖母の、小雪さんがなくなったということでした。

信さんは泣き崩れたそうです。

 

東日本大震災によって、畠山さんは、お母さんを失ってしまいました。また、船もすべて失い、養殖施設も、牡蠣100万個、(被害総額2億円)、そして、植樹祭で掲げる大漁旗も失ってしまいました。

 

何もかも失ってしまいった重篤さん。

3月28日(月)の朝日新聞のコメントには、「今は何も考えられない」と書かれています。

 

赤潮に続き、再び困な状況に立たされた重篤さんですが、

再び立ち上がるのでした。

(つづく)