粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

120.「畠山さんと森は海の恋人」そして「あの震災」 その⑥ 2011年6月。26回目の植樹祭は?

震災から3か月後の2011年6月に23回目の植樹祭が開かれる予定でした。

しかし、東日本大震災のために開催は難しい状況でした。

 

畠山さんの養殖場も大きな被害がありました。

・養殖施設がすべて流された。
・出荷目前の牡蠣100万個が流された。
・船もすべて流された。
大漁旗もすべて流された。

そして、
 いつも支えてくれたお母さんが亡くなった。

 

畠山さんは大いに悩みます。

畠山さんの言葉から、

 

大震災が起こった2011年の6月。
毎年第一日曜日に行われる
「森は海の恋人」植樹祭は
23回目を迎えるはずでした。

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しかし、震災によって私たちの住む気仙沼だけで

死者が1000人
行方不明者も1000人
を数えました。

舞根地区は20件ありましたが、6件しか残っていません。

家を失って、舞根を去る人も少なくありませんでした。

私の母を含め
3名の犠牲者を出しました。

 

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おばあさんたちは、
2回目の戦争のようだと
涙を流しました。

植樹祭で掲げる、
海の象徴である
大漁旗
も流されてしまい
手元にありません。

 

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壊滅的な被害を受けた
舞根の人々に

「植樹祭を開こう」と

とても言えませんでした。

私は、残念ながら
「植樹祭」を
開かない
ことにしました。

 

支えてくれた母を失ったことや、壊滅的な打撃を受けた舞根の人々の心情を考えて、

長年続けてきた植樹祭を開かないことにしようと考えたのでした。

 

授業でも、この場面を扱いましたが、(後日詳細に)

子供たちは

「開いてほしかった。赤潮も克服したのだから・・・」と畠山さんへの期待を願う多数と、

「生活を支える養殖がだめになったのだから、そちらを先にしなければいけなかったんじゃないか」と考える児童もいました。

いずれにしても、畠山さんの心情を思うと苦しい決断です。

 

しかし、

2011年6月5日(日)

舞根湾に注ぐ大川の上流、ひこばえの森に、

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いつもより、ずっと少ないけれども、

大漁旗が掲げられていたのでした。

続く