粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

148.山梨へ + 津波避難丘

今日は山梨へ移動。

都内は年末なので少し込み気味。

談合坂でソイラテ+ショットで一息。

キャラバン号も好調に走る。

 

昼食は富士吉田のうどん。

吉田のうどんは、腰がとても強く、もはや硬いというレベルなのだが、

今日は国道沿いのお店で食べたから、

腰がやや弱め。やはり街中のいつものお店がいいかな・・・。.

でも、こちらの方がトッピングなどは多くて楽しめるかも。

とてもおいしくいただきました。ありがとうございました。

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それから、身延町入り。

自転車はいつもの練習コースの「本栖みち」のヒルクライム

甲斐常盤の駅から本栖湖まで16km。延々と登り。

今日は気温が低くてタイムは望めないと思ったけど、

46分10秒の自己ベスト。

前より重いギアでしっかり踏めている。

確実に実力が伸びていることを確信。

練習と母親は裏切らない(笑)

乗鞍待ってろよ!

(本栖ゴール地点から↓)

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さて、昨日の続き、

前任校が水には・・・という話を書きましたが、

それが伝わる写真を昔のアルバムから見つけましたので↓

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中央に見えるのが前任校です。

海と川に挟まれているのがよくわかると思います。

元禄時代には、賀茂川を遡上した津波が引いてきたときに、今の学校の位置をすべて飲み込んだそうです。来る波と引く波の両方にやられたということで、想像すると非常に恐ろしい。

そして、今でも台風などで大雨が降ると↓

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堤防を越えてしまいそうになるのです。

ですから、江戸時代の元禄地震と慶長地震では、

大きな被害が出てしまいました。

 

そこで、地域の人々が作ったのが↓

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これは、人工の丘で津波避難丘です。

日枝神社が頂上にあるので「日枝神社の避難丘」と呼ばれています。

江戸時代の人は、土をもって苦労してこの高さまで積み上げたそうです。

明治時代には石垣で補強し、昭和になってからコンクリートで固めたそうです。

 

しかし、今はその役割を知る人は少ないのです。

避難丘よりも高い建物はいくつもあり、避難丘は町の中に埋もれています。

しかし、今は役割を終えかけている避難丘の上に立ってみると、

これだけの苦労をして作った先人の思いが伝わってくるのです。

 

私は、この丘の上で、津波の学習では、丹念に先人の思いを掘り起こすことが必要だと強く思い、取材を続けることにしました。

 

完成した単元では

津波の歴史

②科学的な見解

③市の防災対策

④学校の防災対策

⑤伝承

という5つの視点で学習を構成していくのですが、

避難丘で、①の視点が生まれたのでした。

続く