粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

150.視点① 津波の歴史

鴨川市を襲った過去の津波

郷土資料館のT先生をお招きして学習しました。

 

鴨川市を襲た津波の概略は以下のとおりでした。

鴨川市では、1703年(元禄16年)11月23日(旧暦で12月31日)の午前0時頃におきた元禄地震よる被害を大きく受けた。

○学区の前原地区では死者が1300人,1000世帯に及ぶ家屋が流失した。
○今でも学区には

日枝神社津波避難丘,

②観音寺の大位牌,

③米倉稲荷神社の津波碑など,歴史的遺産が残る。

     (書房出版 『房総巨大地震 元禄地震と大津波』 伊藤一男 1983)

 

①の津波避難級については以前書きました。

日枝神社津波避難丘は、元禄地震の教訓を生かして作った避難丘です。

江戸時代は土、

明治に入り、石垣。

昭和になってコンクリート。人々がずっと大切にしてきたものです。

 

②の観音寺の大位牌は、伝承の視点で詳しく触れようと思いますが、
・馬場の集落で亡くなった、140名あまりの名前が刻まれています。
・元禄津波が起こったのは深夜であったため、力の弱い、女子供の名前が多く乗っています。

 

そのほか
・鴨川小学校の字は「洲崎」です。
・今の市役所あたりまで水が来たという記録があります。
・亀田病院のあたりに集落があり、集落全体で高台に引っ越し、今も袋倉簿集落として残っています。

 

実は鴨川市には数多くの津波の遺跡が残っているのですが、

遺跡のある神社・仏閣は児童が生活する場の中にとけ込み,誰もが場所は知っていても,元禄地震と結びつけている児童はほとんどいなかったのです。

 

そこで、T先生に教わった後、みんなで見学に行きました。

学校からほど近い場所に、津波遺跡があることは、子供たちのとって興味をそそられることでした。

 

避難丘↓ 「こんなに高い場所を江戸時代の人は土で作ったのか」

f:id:syakaikajugyou:20171230161242j:plain

「階段を上って上に上がると」

f:id:syakaikajugyou:20171230161403j:plain

元禄時代のお墓があります」

f:id:syakaikajugyou:20171230161934j:plain

③米倉神社の津波の記念碑。人者の石段が流されたという

f:id:syakaikajugyou:20171230162046j:plain

これら歴史の残る津波の痕跡を地図で表すと以下のとおりになりました。

f:id:syakaikajugyou:20171230162150j:plain

 

この様に表すと、クラスの児童の自宅の

7割は元禄津波の浸水地域になります。

子どもたちは、全く油断できないと感じ、

学習への意欲を深めていきました。

 

続く

 

おまけ

今日も「本栖みち」ヒルクライム

本当はロングをやりたかったけど、お餅つきなどでできず。

しかし、45分32秒のベスト更新。

個々のところ、更新連発。調子は良い。(今よくても仕方ないけど)

 

本栖湖に到着すると、話しかけてくる方あり。

むかしサイクリストだったということで、私の自転車に興味を。

それから、本栖湖から富士を撮影した写真を見せてくれました。

ダイヤモンド富士や逆さ富士、紅富士など、とてもすごい写真の数々。

聞けば、東京在住にもかかわらず100日は本栖湖に来て撮影しているということ。

サライという雑誌にも載ったそう。

どんなことでも、継続の力は必要と再認識しました。