粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

217.信長の話 + 鹿児島の旅

前回の続きです。

 

信長が歴史の展開に与えた事業は何だったのだろうか?

それは、「中世」から「近世」への転換であろうと思います。


 日本の歴史区分は広く知られているように(原始・)古代・中世・近世・近代(・現代)と分けられています。

そして、信長(秀吉)は中世の最後を飾り、家康は近世の最初となります。

では、中世と近世を分けるものは何か。

それは荘園制を中心とする土地所有の在り方の変化です。

中世は荘園制の時代とされます。

貴族や寺院、武士など、土地所有者が小作を使い土地から利益を得ていました。

例えば、鎌倉幕府御家人の土地に対して所有を保証することで、政権を保ち、それが元寇によって崩れたときに政権は崩壊してしまいました。

また、室町時代も同様に有力武士は自分の土地から利益を得ていて、応仁の乱後には幕府の政権運営が行き詰まり、各大名が自分の土地を自由に広げる戦国時代となりました。

実際、室町時代には将軍の支配が直接及んだ土地は京都を中心とした5か国程度でそれを「天下」といい、

信長が義昭を奉じて上京を志したときに用いた「天下布武」の印は日本全国の支配を志していないものだとするのが現在の通説です。

将軍の天下とそれ以外の有力者による分国支配が中世の特色であったといえます。


 しかし、その支配体制に信長はメスを入れていきます。

いわゆる国替えの実施です。

 

例を挙げてみます。
丹羽長秀 近江佐和山→若狭後瀬山
柴田勝家 近江長光寺→越前北庄
細川藤孝 山城青龍寺→丹後宮
前田利家 越前府中→能登七尾
・佐々成正 越前府中→越中守山
池田恒興 尾張犬山→摂津伊丹
滝川一益 伊勢長嶋→上野厩橋
・川尻秀隆 美濃岩村→甲斐躑躅ケ崎
森長可  美濃兼山→信濃海津


本能寺の変が起きなければ、上杉氏を滅ぼした柴田勝家はさらに遠国の春日山に入封されていたでしょう。

武田氏を滅ぼした直後に入封され支配が固まらない厩橋滝川一益は苦労し、本能寺の変後の北条氏の放棄によって土地を追われて事実上の失脚をしてしまいます。

「一所懸命」は中世をよく表しています。

自分の土地は自分で守り豊かにしていくのです。

しかし、信長のように、君主が自在に国替えを行うとどうなるでしょうか。

支配者と土地の強力な結びつきを奪われ、国を富ませても、簡単に国替えされてしまう。

これまでの常識を覆された部下の心情はどうだったのでしょうか。

一方で信長のこの事業は、近世の幕開けとなります。

強力な中央集権の始まりです。

秀吉により全国規模の見地が行われ、税の中央集権化が行われ、

江戸時代になると家康が盛んに行う国替い、徳川時代の長期繁栄につながっていきます。

2人は信長の事業をうまく生かして全国を支配していきました。

信長は、中世のあいまいな土地支配から脱却し、中央集権を行い封建制をより強力に推し進めたことが歴史区分にも影響を与える事業といえます。

 しかし、この事業は信長自身の命脈を断つことにもつながったのではないでしょうか。

 

アナザーストーリーです(続く)

 

おまけ

28日。今日は鹿児島でお話をする機会をいただきました。

同僚のS先生の縁で、H先生にお話する機会を作っていただきました。

とても、ありがたいことです。感謝申し上げます。

会は、S先生と私の講演でした。

講演の会場が、知覧特攻平和祈念館のとなりでしたので、

平和記念館を拝見しました。

行ってみて、くぎ付け。ハンカチなしにはいられない。

あっという間に1時間半が過ぎてしまい、自分の講演時間に。

あわてて、書籍を買い集め、講演をさせていただきました。

 

いやはや。もう一回ゆっくり取材したいな。

急な、サツマイモのおすそ分けや

めったに手に入らないお土産など、

とてもうれしかったです。

本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

 

↓昼食のとんかつ「とまと」のロースかつ。

質もボリュームも素晴らしい!(夕食いらずだな)

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↓知覧の平和記念館。1時間半では全く足りません。時間をたっぷり確保してもう一度来たいです。

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