粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

253.取材で出会ったすごい人 5年生編 その③ 田中正造

田中正造の授業は運命に導かれたように出来上がった授業でした。

授業自体は、2018年の1月から2月にかけて行ったのですが、

きっかけは2017年の7月にまでさかのぼります。

 

7月に交通事故にあった私は、保険会社の方の訪問を受けました。

私より年上の紳士でした。

 

私の部屋にお通しすると、本棚を見て、私が社会科の先生だと気づかれました。

すると、「田中正造を知ってますか?」と切り出されたのです。

ぐいぐい来る勢いで、(事故のことはいったんほっておく感じ)

足尾の被害民の方の中には、北海道の佐呂間町にまで移住した人がいることを教えてくださいました。

勉強不足の私は、その事実に驚くとともに、

しかも、佐呂間町の中の被害民の方が移住した地区を「栃木」と名付けたと聞いて、

「ああ。」と感じ入るところがありました。そんな遠くにまで移住したのかと。

 

ケガのこともありましたし、夏は畠山さんの授業をしていましたので、田中正造のことは忘れていたのですが、

ふとした瞬間に、田中正造=谷中村=北海道、というそのことが頭の片隅に残っていて気になっていました。

 

そして、9月になって取材に行こうと、初めて渡良瀬遊水地に行きました。

関東平野のど真ん中という感じの渡良瀬遊水地はとても素敵な場所でした。

 

現在の谷中村の様子からは、鉱毒事件は想像もできません。

小さい子供を連れた若生夫婦が遊んでいる。

キャッチボールをする少年もいる。

そんな素敵な休日でした。

 

しかし、すこし、葦の中を入っていくと、

今も残る雷電神社や谷中村の方の家があった場所があり、

それをみると、光と影を感じるのでした。

思わす、うーんとうならざるを得ない。

ここで、正造や被害民の方は最後まで戦ったのか・・・・・。

 

私は、もう、引き付けられてしまい、これを授業にしようと決めました。

 

日を改めて、博物館や銅山にまで足を延ばしました。

博物館で見学し、書籍を買いあさっていると時間はあっという間に過ぎていく。

足尾についたときには、つるべ落としで、どんどん暗くなってしまいました。

それがまた、得も言われぬ郷愁を誘う。

 

銅山の見学を終えて、夕暮れの

寒さに震えながらキャラバン号を走らせて、あったまろうと、検索して見つけた日帰り入浴へ。

お湯のあたたかさと心の寒さと。

物思いにふける。

そして、どうしても、北海道の栃木が気になるのでした。

 

すっかり夜になって、日光方面に北上してから東京に帰る。(銅山と日光はちかい)

月夜の光に照らされながら、高速を進みながら、北海道に行こうと心を決めるが、

全くあてがないから、どうしようかと思うのでしたが、

北海道の佐呂間には、ものすごい方がいたのでした。

 

続く

 

徒然

・今日は朝いろいろしていたら出るのが遅くなって、久しぶりに渋滞にはまって通勤。4月から半年以上で初めてだろうと思う。時間の無駄だなあ。朝の時間は貴重です。

 

 

 

⇓のどかな渡良瀬遊水地を分け入っていくと。

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 ⇓田中正造最後の戦いの場所が。

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