粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

268.地球のうらの友だちも その⑦

7時間目

1 ねらい

ODAの減少を議論する中で、マザーハウスの山口さんの事例を知り、国際貢献から国際協力へと考えが変わりつつある現在の国際社会に変化を追究する手がかりを持つ

 

2 本時の展開

 

1.学習問題を作る。

○前時の学習を振り返る。

・ODAは年々減少している。

・国連の定めた国民総所得に対する割合にも遠く及ばない。

・このままでいいのかな。

○具体的な数字などを振り返りながら、ODAの減少について話し合う足場を作る。

日本のODAが減少していることの是非は?

 

2.自分の考えを述べる。

・日本も戦後復興で支援されたのだから増額すべき。

【歴史的視点】

・生まれる場所は選べないのだから支援すべき。【基本的人権

・日本は貿易国だから外国の健全な発展が必要。【経済的要因】

・一国では解決できない問題だから。

【グルーバルな問題。SDGs】

 

・日本も苦しのだから仕方がない【国内の経済事象】

・途上国の現状を知らない人が多いのでは。【情報の不足】

・本当にためになっているのか?募金は届いているのか。

【事業への疑念】

 

○一人一人の考えを述べさせる。これまでの学習を生かすなど、自分の意見の裏付けとなる根拠を見取りたい。

○ODAの在り方について、よりよくしていく問視点で、クラス全員で考えていくという意識を持たせたい。

3.黒板の記述をもとに、支援に取り組めない事情を考える。

〇原因だと思う事柄に黒板に赤線を引き、話し合いを整理していく。

・疑わしいと感じる人が多いのでは?

・本当に役になっていると実感できないのでは?

〇おそらく、子供たちは支援しなくてもいいという考えはないだろう。そこで、支援から遠ざけてしまう原因の、一応の結論を考えていく。

 

本当のことが分からないのではないか?

 

○支援は本当に届いているのか確かめに行った人の話を知り、山口さんの立場に立って考える。

・想像以上に厳しい現実だったんだ。

・厳しい環境でも、強く生きる人たちを見て、自信を無くしたんじゃないか。

・本当に貧しいとは心まで変えてしまうのかもしれない。

・挫折を味わったのかも。

山口さんはバングラディッシュに残った?帰国した?

○山口さんの体験から「貧しさ」とは何か考えていく。 

〇きれいごとでは済まされなかった現実と一人の人間としての決断を考えていく。

 

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私の振り返り

 

公開研究会の1日目でした。

前時でできた課題「ODAの現象について賛成か反対か」を述べながら、ODAのあり方、国際貢献のあり方について考えていく場面です。

協議会でも話題にのぼりましたが、「賛成か反対か」は方法であり、ODA減少の是非を問うことが目的ではありません。

賛成なのか反対なのかを述べ合う中で、国際貢献の課題やより良いあり方に気づいていくことが目的です。

 

子供達の意見は、板書にある通りです。

 

この時間、私は、黒板に子供達の意見をどんどん書いていきます。

整理はしません。色もつけません。とにかく書いていくだけに徹します。

そして、意見が出尽くした後で、

子供達に大切だと思ったところを、前に出てきてもらい、赤線で引いてもらいます。

この授業では、

「支援はすべきだが、お金がかかることは」

「多くの人が、困っている人がいることを知らないのだから、もっと多くの人に知ってもらう」

「日本人から地球人へ」

に線がひかれました。

 

誰もが、支援は大切だと思っていても、お金がかかるとなると・・・。と思っていると思います。

また、本当に起こっていること、現実を知らないということもあります。

一方で、日本だけで問題、一国の問題から、グローバルな問題として捉えないと解決できないという視点もあります。

 

私が、黒板にまとめなくても、自分たちで大切なことに気づいて行けます。

自分たちの力で、問題を解決して行くことを大切にしたいからです。

読んだ本で、6年生くらいから、「自己実現」への欲求が高まることが書かれていて、それをヒントに、このような方法への移行を試みました。(今度紹介します)

これが、今回の板書での工夫です。

 

さて、実際に現実を見に行った人として、マザーハウスの山口さんの登場です。

下の資料を読んで、子供達は衝撃を受けたようです。

 

さらに、スライドで、話を進めます。

苦労の末、メディアに取り上げられた山口さんですが、かき直しを求めます。

それはどうしてなのか❓

本時はそこで終了。

 

資料

『裸でも生きる』山口絵理子 講談社 より

米州開発銀行とは、ワシントンD.C.に本部がある国際機関の一つでラテンアメリカ向けに支援や融資を行う。多分落ちただろうなあ。2000人以上が応募して受かるわけがない。私より英語ができて第二外国語ができる人たちは、たぶん1800人くらいで私が勝てる要素なんてこれっぽっちもないと思った。合格発表に日が来た。電話が鳴り、たった4名の一人が私と知らされた時、涙が出てきた。「やった。やった。やった!ワシントンに行けるんだ。夢の国際機関で働けるんだ」

 

 最初は仕事なれなかったが任されるようになり、徐々に私の仕事は多くなり、週末も出勤するようになった。ある日、部署ごとの予算を集計し一致するか確認していると、どうしても1、2ドル合わなかった。

「ボス。どうしても、1・2ドル計算が合わないんです」

「あっ。オッケー、オッケーよ。そっちの方、合わせておいて」

その時は、そんなもんかなあって通り過ぎたけど、帰りのバスの中も、ベッドの中でもずっと気になって考えていた。

(2ドルでも、それってすごく大きな金額だよなあ。途上国の人たちにとっては)

 

翌日、ランチを共にしていたアメリカ人のマイケルに

「私、途上国に行ったことがないんだけれど、一日1ドルで生活しているって言いますよね。なんだかイメージわかなくって。こんなに直接かかわる仕事をしているのに・・・」と質問すると

「何だよ、君そんなことで悩んじゃって。僕だって行ったことないさ」

他のメンバーにも質問をしたが、現地に行った人はいなかった。私は考えた。(この大きなビルは、途上国の現実からあまりに遠くかけ離れている。PC上でお金が動かすことが国際支援?)私の心には一つの決心が固まりつついあった

それは「途上国へ行く」。事務所にあった真新しいパソコンで「アジア 最貧国」と検索した。そして出てきたのは「バングラディッシュ」という国だった。

「うっ・・・」

飛行機を降りた瞬間、異様な臭いで気持ちが悪くなる。バングラディッシュの空港についた。思わず空港のトイレに入ったら、その汚さにさらに気持ちが悪くなった。

空港のゲートをくぐると、群衆が、みんな私を睨めつけてくるように感じた。白いシャツが茶色く変色してしまった若い青年も、白髪が長く伸びて杖を突いている老人も、おなかが出た赤ちゃんを抱っこしているおばさんも、みんな同じ人間だなんて思えない表情で私を見ている。私は凍り付いてしまった。どうしようか迷っていると、後から後からたくさんの人が私に駆け寄ってきて手を差し伸べる。誰かが私の荷物を引っ張ている。びっくりしたのとこわいのと、理由が分からないのとで、心臓がバクバクしてしまった。とさっさに振り払って逃げようとしたとき、誰かが「マネー・・・」って言ってきた。(あっ。お金が欲しいんだ・・・)バングラディッシュに入ってからのこの一瞬、一瞬が、私の人生で、今初めて起こっていることだった。何とかゲストハウスにたどり着くことができた。その日の夜はこわくて,怖くて眠れなかった。少しの物音にも敏感に反応してしまい、その度に心臓が体から飛び出そうだった。

 次の日の朝、ものすごい頭痛がしたが、2週間というわずかな期日、一日も無駄にできないと外に出た。暑い。リキシャ(8歳からこの仕事。驚く)にのっていく。「あれはなんだろう」それは、私が初めて見た、いわゆる「スラム」だった。気持ち悪いにおいと裸の赤ちゃんがいっぱい。みんな上着も下着もなにもない。お母さんと思われる女性もぼろをまとっただけ。髪の毛は汚れすぎてもう一本一本ではなく束になってしまっている。空港で合った人々は、みんな私のことをじっとにらんできたが、このスラム街の人は私のことなんてちっとも見ない。誰が通ろうと興味を示さずゴミの山をあさったり、緑色の川で洗濯をしたりしている。人間が生きられる水準を下回っているスラム。この衝撃はずっと頭から離れなかった。

 私はどうして日本に生まれたんだろう。

 もし、このスラムの中で生まれていたらどうやって生きていって、何を考えたのだろう。何かを考えることすらできなかったかもしれない。どうしてこんな世界が今なお当たり前のように存在しているんだろう。日本やほかの先進国が何十年と与えてきた、何十億、何百億、何兆円もの援助金はどこに消えちゃったのかな。

 そして次の日も、またその次の日も、私はたくさんのものを見てしまい、たくさんのことを考えてしまい、「私は何のために生まれてきたのだろう」と考えてしまった。

 親しくなったバングラディッシュの女の子に「私も日本に連れて行って」そう迫られた。家族の問題、お金がないこと、どうにか先進国に住みたいと涙目で訴えてきた。

 貧しさは生活のいたるところで人を傷つける武器として現れた。その度にどんなに変えたくても、変えられない現実があるんだと思い知った。車にはねられても一言も言えずに立ち去る少年も、洪水の中、泳いで薬を買いに行く子供も、みんな生きるために、生きていた。バングラディッシュに生まれなければ発揮できたはずのたくさんの可能性がある。しかし、正義や努力が報われない社会でも、自分の生きる道を何とか切り開いて、力強く生きていた。

 私は何か力になりたいと思ってこの国に来たが、私の持っていない「強さ」をこの人たちはみんな持っていた。自分だったら、この環境を責め、自暴自棄になっているだろう。しかし、私には「帰る場所」があった。日本という恵まれた国。そんな私が「貧しい国の人のため」なんて思ったことが、なんて浅はかで、傲慢で、無知な思いだったんだろう、と強烈に感じた。

 次第に、この国に居場所がないとおもうようになった。結局「よそ者」なんだという意識が大きくなる。

 

 

徒然

・頭痛がする一日。卒業も近く、大切にしたいのにね。

やるべきことも多く、子供達も忙しい。でも、みんな頑張って自分の役割を進めています。

・体調整えないと。そんなわけで、今日は早めに寝ます。

 

⬇︎ケーキです。ロールケーキ。見つけたからなんとなく購入。

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