粕谷昌良の社会科授業日記

筑波大学附属小学校の粕谷昌良が社会科実践を報告します。

276.今日読んだ本

今日は、社会科授業のお話の題材に乏しく、今日読んだ本のお話を書こうかと。

本当は、毎日社会科のことを書くことで、

私自身にとって毎日の積み重ねになるのでしょうから、

書かなくてはいけないのだと思います。

もう少し、頑張らないといけないですね。

 

さて、今日は学校の先輩に夕食のお誘いを受けたので、

電車で通勤しました。電車で通勤すると30分強かかりますので、

往復で1時間以上の時間があって、読書に最適。

朝、家に積んである本の中から、読み終えそうな本をチョイスして電車に。

 

「一日一生」坂井雄哉(さかい ゆうさい) 朝日新書 を。

坂井さんは比叡山飯室谷不動堂長寿院住職で、約7年かけて4万キロ歩く(地球1周)「千日回峰行」を2回行い、大阿闍梨になった方です。この千日回峰行は、信長の比叡座焼き討ち以降、400年でわずか四十九人しかいないそうで、2回行ったのはわずか三人という偉業だそうです。坂井さんは、2013年になくなりました。とても残念ですね。

 

このような坂井さんですが、40歳までは職を転々とし、ようやくお寺に入り、自分の道を見つけたそうです。

ですから、人生の苦楽といいますか、酸いも甘いも味わった人柄が文章からにじみ出ています。

 

心に残った言葉を。

・生き仏なんて言われると、僕は気をつけないといけないなあと思う。たまたま比叡山にきて、比叡山に拾われて、比叡山で行をさせてもらったっていうだけのこと。1200年の歴史ある大きな舞台で行をさせてもらった。だからみんなからすごいと言われるんだ。普通に人と何も変わらないよ。だって、同じことをたった一人で名もない山でやったのだったら、そんなこと言われるかい❓みんなから「仏様」だなんて言われて、そうですかってふんぞり返っちゃったら、仏様は怒るよねえ。(中略)自分の地金は自分が一番よう分かっているでしょう。大事なのは、人からすごいと言われることじゃない。自分は金持ちでも貧乏でも、頭が良くても出来が悪くても、誰でもいつかは死ぬ。死んだら終わり。誰も変わらないんだ。大事なのは、今の自分の姿を自然にありのままに捉えて、命の続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな。

 

・自分なりに腑が落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えがわからないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。

 

・天台では「教行一致」と言って、教えと行うことは一体にならなきゃだめなんだと説いている。知ることと実践すること、どちらも大事なんだ。孔子も「両輪のごとく」と言っているけれど、同じ轍では知らないと車が傾いてしまって走れないように、物事にはその2つの要素が必要なんだ。「俺は行をやった。もしも勉強もしていたら、相当優れた奴ができたんじゃないだろうか」って自分ながら時々悔しい時がある。どんなに勉強が嫌いでもやっぱり学ばなきゃだめだと、ただ学ぶだけではなく、自分でこなせるような学び方をしないといけない。

 

・幼い頃親が本気で心配してくれたり、おぶって病院まで走ってくれたり、そういうことは、いつまでも忘れないもんだな。ふれあいとか絆とか、肌の感覚でもって覚えているものなのかもしれない。

 

・子供にとっては、貧乏でもお金持ちでもいいんだよ。親が一生懸命生きている、その背中を見せてやることじゃないかな。

 

・たとえば僕は、82歳になる。じゃあ何日生きてきたのかなあと思ってね、この間計算してみたんだ。ようやく3万日をちょっと超えるくらいだった。80年だっていたって、たったの3万日っきゃ生きていないんだね。そう思うと、自分たちの命って、本当に短くて儚いものだなあと思うよね。地球が生まれて四十何億年とかって言うでしょう。なかなかイメージがわかないと方もないけど、その中の3万日なんていったら、霧や塵までもいかない、ふっと消えてしまいそうな微かなものだよね。そんな小さな存在なのに、こうして大きな世の中に送り出していただいたんだから、それこそ地球のために、みんなのためにって考えないといかんなって思うの。(中略)みんなが楽しく生きていく方法を考えたいなあと思うんだ。一つ一つの命は小さくても、みんなで心を一つにして考えることができたら、やがては大きな力になるんじゃないのかなあって。80年と言っても、地球の命に比べたらほんのはかないもの。80年生きたからどうの、これまで何をしてきましただのではなくて、大事なのは「いま」そして「これから」なんだ。いつだって「いま」何をしているか「これから」何をするかが大切なんだよ。

 

 

 

なんだか、社会科のようだなと感じるのは、私が社会科を好きだからでしょうか。

そうじゃなくて、仕事というものや、大げさに言ったら生きるということは、

どんな道を歩いても同じ道のり、同じ概念を学ぶということなのかもしれないと

ぼんやり考えながら、最後のページを閉じました。

 

↓取材の思い出。羽村の取水堰。夕暮れが美しい。思わず見とれていたなあ。

 

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